ロシア革命100年、今も「思想」が平和を脅かす
ロシア革命から7日で100年を迎えた。1917年11月7日、革命家ウラジーミル・レーニンの率いるボリシェヴィキ(後のロシア共産党)がモスクワで武装蜂起し、やがてソビエト連邦という国家を樹立した。
惨禍招いた弾圧や粛清
革命から70余年が経過し、ソ連は「ベルリンの壁」崩壊後の91年12月に消滅した。革命の悲惨さを象徴するのは、帝政ロシア最後の皇帝ニコライ2世一家7人の末路だ。銃殺された後、硫酸を使って身元の隠蔽(いんぺい)が図られたという。
こうした悲劇はソ連全土に広がり、共産党の一党独裁のもとで弾圧や粛清、迫害が繰り広げられた。20世紀は「戦争と革命の世紀」(政治思想家ハンナ・アーレント)と呼ばれるが、犠牲者は2度の世界大戦よりも「革命」によるものの方が多く、推計2億人に上る。その意味で20世紀は「共産主義による惨禍の世紀」と言える。
その起点となったロシア革命は世界に何をもたらしたのか、改めて問いたい。第一に、革命がロシアにとどまらなかったことだ。共産党は帝政ロシアの影響下にあった地域を次々に共産化し、ソビエト連邦を樹立した。ソ連崩壊後に独立したウクライナや中央アジア諸国がそうだ。
さらに第2次世界大戦を通じて東欧へ進出し戦後、東欧諸国を共産化した。これら諸国はソ連崩壊後、「ロシアの軛(くびき)」から逃れようと、欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に加わった。
第二に、レーニンが世界革命を目指したことだ。1919年にコミンテルン(国際共産党=第3インターナショナル)を結成し、革命の“細胞”を各国に植え付けて武装蜂起を支援した。日本共産党も「コミンテルン日本支部」として22年に創設された。
レーニンの率いる共産党の象徴はソ連国旗に掲げられた「鎌とハンマー」だ。それを中国共産党や朝鮮労働党(北朝鮮)が今も党旗として使っているように革命組織は広く世界に存在し、平和を脅かしている。
第三に、何よりも革命思想が生き残っていることだ。レーニンはコミンテルン第2回大会(20年)で「二段階革命論」(民族および植民地問題に関するテーゼ)を打ち出したが、これを日本共産党は継承し、現行綱領でも「民主主義革命」を当面の課題とし、その後に「社会主義革命」を据えている。
ソ連崩壊後、ソ連共産党政治局員で宣伝部長だったアレクサンドル・ヤコブレフ氏は悲惨な共産主義社会をもたらした最大の原因は何だったのかと自問し、「唯物論にあった」と結論付けている(『マルクス主義の崩壊』サイマル出版会)。唯物論は必然的にフェティシズム(物神崇拝)に通じ、人間の精神を骨抜きにし、イデオロギーの操るままにさせたというのだ。
唯物論への警戒怠るな
レーニンを革命に突き動かした、このマルクスの思想とりわけ唯物論は今日なお、自由諸国の知識階層に少なからず浸透している。
ロシア革命は過去の遺物ではなく、現在進行形の問題だ。警戒を怠ってはなるまい。