先行き暗い金正恩体制
宮塚コリア研究所代表 宮塚 利雄
準備不足で米朝会談強行
失敗の責任、部下に押し付け
先月初旬、恒例としている年に数回ほどの「北朝鮮情報収集」と「北朝鮮グッズ収集」のためソウルに行った。定宿としている市内中心部にあるホテルに到着して旅装を解くと、すぐ近くにある便宜店(コンビニ)に行って、新聞数紙を買ってくる。
「北朝鮮情報収集」などといっても、韓国の北朝鮮問題研究家や専門家などという人物に会って収集するとか、研究機関を訪ねるとかいうようなことではない。ただ、新聞と週刊誌の類を買ってきて、ホテルで韓国の時代劇をテレビで見ながら、おもむろに新聞を広げて北朝鮮関係の記事をスクラップするだけのことである。
45年前に留学に来た頃の韓国の新聞は、ページ数は少なく、漢字とハングル交じりの小さな文字が馬糞(ばふん)紙のような新聞紙にびっしり書かれていた。当時の新聞に北朝鮮関係の記事が載ることは多かったが、「北傀(ほっかい)」の文字と「首にコブを付けた金日成」の似顔絵が印象的であった。
高官が土下座して謝罪
さて、分厚い新聞紙を全ページ指に唾を付けながらめくっていくと、5月11日の某紙のテレビ番組欄に目が留まった。それは「どこかで見たことのある人物2人の顔写真が出ていた」からである。その人物とは元北朝鮮外交官の太永浩と高永換であり、2人の対談番組の案内であった。番組案内の記事に高永換が「北朝鮮の金英哲がハノイでの米朝首脳会談が失敗に終わったことへの責任からか、帰りの列車の中で、金正恩の前に跪(ひざまず)いていた、というようなことを発言した」とあった。まさかと思ったが、記事を切り抜いてスクラップし、翌日の午後9時からの番組を見た。
太永浩の発言は予想されたものであったが、高永換の「金英哲が金正恩の前に跪いていた」との発言を聞いた韓国人の畏友が、思わず「まさか」と言ったが、「何らかの責任問題が発生するだろう」とも話した。ハノイでの会談が失敗に終わると、金正恩は帰国後開かれた最高人民会議でハノイ会談が失敗に終わったのは「実践不可能な方法に対してのみ頭を使い会談に臨んできた」と、決裂の責任を米国に押し付けた。
しかし、これだけでは済まなかった。金正恩は自らしでかした不始末の責任を部下に押し付けることにした。金英哲が自分の前に土下座して跪こうが、その程度の謝罪・反省の態度では済まないであろうと思っていたさ中、5月30日の「労働新聞」は「首領への忠誠を言葉で叫びつつ、大勢を見て変える背信者がいる」と指摘し、こうした人たちには「審判は避けられない」と強調した。続く翌31日に韓国の朝鮮日報が「米朝協議に当たった金英哲・党副委員長が労役刑に、金革哲・対米特別代表が銃殺刑になった」と報じた。
ハノイ会談の時に金正恩の通訳をした女性は政治犯収容所送りになったともいわれているが、金正恩は「体制護持と生命保証」のために、ハノイ会談を十分な準備もなしに実現させた。自らの目論見(もくろみ)がいとも簡単に崩れ、その責任を部下に転嫁することによって「内部の動揺と不満を鎮めるため」に今度の粛清となったとしたら、以前も本稿で言及したことがあるが、まさに「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)らる」の再現である。
金英哲・金革哲は金正恩にとっては最大の忠誠者ではなかったのか。自らの能力不足によって引き起こされた不始末の責任を、部下に負わせるとは金正恩政権の行く末も見えてきたようだ。
処刑・粛清説、北が否定
ここまで書いて編集部に原稿を送ったら、翌日、金英哲が金正恩と共に音楽鑑賞会に出席しているのが写真付きで報じられた。さらに、軟禁説まであった妹の金与正がこれまた金正恩とアリラン祭を観覧している姿が報じられた。これまで、韓国発の北朝鮮幹部の処刑・粛清説が報じられて、後日、北朝鮮がこれを否定する写真報道を行ったことがあり、北朝鮮問題の専門家の間では、この類(韓国発の報道)には気を付けるようにと言われていたが、私も同じ轍(てつ)を踏んでしまった。金英哲の今後の動向を注視していくしかない。
(敬称略)
(みやつか・としお)











