【韓国紙】古道の三南大路


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

世宗大王像が建つ夜の光化門広場=2017年5月9日、韓国・ソウル(岩崎哲撮影)

 朝鮮時代にはソウルを中心として各地域を連結する道路網を9大路と言った。代表的な道が第6路である三南大路だ。ソウルから全羅南道(全南)海南郡の梨津港に至る道だ。湖南地域(朝鮮半島の南西部分)の豊富な物産をソウルに送る道だった。詩人の朴木月が詩『旅人』の中で「道は一筋/南道三百里/酒が発酵する村ごと/燃える夕焼け」と詠った道だ。

 このような伝統的な道路体系は新しく造られた道路にうまく継承されなかった。作家の朴泰洵は著書『私の国土私の山河』で三南大路と国道1号(1番国道)について、「ソウルから水原を経て天安に至る道は、ほとんど同質性を保っているが、天安三叉路の辺りを越えてからは互いを裏切るようになる」と述べている。

 三南大路は車嶺峠・公州・扶余・江景と続いていくが、1番国道は鳥致院・大田・論山に抜ける。直線道路を好む近代の技術工法のせいで、「1番国道が三南大路の道理を軽んじる」のだ。三南大路には束縛の歴史が込められている。茶山・丁若鏞、秋史・金正喜(茶山、秋史は号)などが配流された道であり、収奪と逼迫(ひっぱく)に苦しめられた東学農民軍が革命を夢見た道でもある。

 文化財庁が先祖たちの往来した古道を対象にして名勝の資源調査を行った後、歴史・文化的な価値があって景観が美しい三南大路の峠(カルジェ、ヌリッジェ)などを国家指定文化財(名勝)に指定した。

 カルジェは全南長城郡の北二面院徳里と全羅北道(全北)井邑市の笠岩面登川里をつなぐ峠道だ。高麗時代、顕宗(第8代王)が契丹侵入時に羅州に進む時にこの道を越えた。過去の石ころの道や土の道の原型が残っている。

 ヌリッジェは全南霊岩郡の霊岩邑開新里から康津郡の城田面月南里に越えていく峠道だ。牛商人や行商人が霊岩や羅州の定期市に出店するためにこの峠を越えた。随所に村の守護神を祀ったお堂跡や石塚などが残っている。配流地の康津に向かっていた丁若鏞はここで「ヌリッ峠のある峰は岩がそびえ/旅人の涙でいつも濡れている/月南里に首を向けて月出山を見るな/峰々ごとにあるいは(ソウルの)道峰山によく似ている」と詠った。

 全国の各地には開発万能主義によって壊されたまま孤立している古道が点在している。今回の名勝指定を契機に古道の文化インフラが立て直されることを期待する。

 (12月13日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。