ハロウィーンとイカゲーム
“お化けの祭り”と呼ばれるハロウィーン(10月31日)は紀元前1世紀に英国で生まれたと伝えられている。ハロウィーンの象徴である“カボチャのお化け”は中身をくりぬいたカボチャに恐ろしい形を刻み、中にろうそくを入れてお化けの目のように輝かせるようにした装飾品だ。米国に伝わってきて、全世界的に有名になった。家ごとに大きなカボチャのお化けを飾り、大人子供を問わず中世の修道士や騎士、悪魔、ドラキュラなどの仮面をかぶって街頭を練り歩く。
ウィズ・コロナを控えた10月最後の週末は梨泰院、江南、弘大など、ソウル都心の至る所がハロウィーンパーティーを楽しもうとする人波に埋もれた。全国各地でも大変な混雑になったという。
以前は、こんなハロウィーンに対して事大主義の風俗ではないかという批判が少なくなかった。しかし、ドラマ『イカゲーム』の登場で状況が反転した。今年のハロウィーンの衣装をイカゲームのコスチュームが総なめするだろうという米マスコミの報道やメンコ、だるまさんが転んだ、砂糖菓子(タルゴナ)の型抜き等のゲームをまねする外国人の姿がそれだ。韓国の遊びの文化を外国人たちがハロウィーンでまねる光景はイカゲーム放映前には想像すらできなかったことだ。
イカゲームのコンテンツの内容が全世界に一つの遊びの文化のように拡散する姿で、文化の境界が急激に崩れていることを実感する。イカゲームと関連した放送リポートが毎日のようにあふれていることを見ても分かる。そうであるなら、Kコンテンツが世界に拡散することはいくらでも歓迎すべきだと言いつつも、わが国のものでないとの理由で外部の文化や商品の流入をむやみに防いだら、これをどのように見なければならないのか問い掛けられそうだ。答えは偏狭な国粋主義に他ならない。論理的にも矛盾する。
文化は絶えず動き変化する。ファッションや音楽、食べ物などには国境がなくなって久しい。アパート(高層マンション)管理事務所でさえ、ハロウィーンの日に、子供たちにキャンデーをあげますと案内放送を行う時代だ。そんなマンションの遊び場に集まった幼い子供たちの顔には、イカゲームの仮面が被せられている。世の中は変わった。過度な暴力、煽情性問題、過消費を煽(あお)るものでなければ、外来文化を眺める視点も変わらなければならない。老害などと言われるのが嫌で言っているのではない。(11月2日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。