英国はEU離脱を望んだのか
国民の声は始終不安定
やり直しが難しい国民投票
「民の声は天の声というが、天の声にもたまには変な声がある」とは、1978年11月、自民党総裁予備選挙で大平正芳に敗北した福田赳夫首相の弁である。去る6月23日に投票が行われたイギリス国民投票の結果は、世界に衝撃を与えたが、民の声はたまたま「変な声」だったのだろうか。
イギリスは議会制民主主義の母国であるとともに、「議会主権」の国である。つまり、国政については国王と貴族院、庶民院の三者からなる議会が最終責任を負い、「国民主権」の語を用いなかった。そのイギリスで1976年6月、英国がEC(後のEU)に留まるか否かを問う、史上初の国民投票が実施された。このときは賛成67%、英国民はEC残留を是とした。投票率が65%、EC残留支持は有権者総数の約44%であった。
続いて1979年3月には、スコットランドとウェールズで、それぞれの地域議会設置の可否を問う住民投票が実施された。
当時、労働党のキャラハン政権は、政権安定のためにスコットランドとウェールズの民族政党からの支持を必要としており、そのためにスコットランドおよびウェールズに地域議会を設置するための住民投票を実施したのである。しかし、労働党内に慎重派があったため、住民投票の可決要件を投票者の過半数だけとはせず、有権者総数の40%以上というハードルを設けた。投票の結果、スコットランドでは賛成が51・6%だったが、投票率が63・7%と低かったため、賛成者は有権者総数の32・9%であり、40%の関門を越えられずに不成立となった。ウェールズでは、賛成20・3%で不成立に終わった。
この住民投票は、結果に対する民族政党の不満から労働党内閣不信任が成立し、解散総選挙が行われ、英国史上初の女性首相、マーガレット・サッチャー政権の誕生を見るので、結果的に英国現代史の転換点となるのだが、これ以後、国民投票、住民投票に、有権者人口の40%といった関門が設けられることはなくなった。
1997年に成立した労働党ブレア政権は、スコットランドとウェールズの地域議会設置について2度目の住民投票を実施したが、今度はスコットランドで74・3%、ウェールズで50・3%が賛成して、ともに地域議会設立となる。しかし、有権者総数に対する比率では、スコットランドで賛成44・9%、ウェールズは25・3%だから、40%の関門があればウェールズ議会は設立できなかった。
以上、過去のイギリスの結果から、国民投票、住民投票は、制度設計で結果が左右されるものであり、何が民意か、天の声かは、天ならぬ議会制定法に委ねられていることが分かる。
今回の場合、投票結果は「51・9%で英国のEU離脱が決定」だったが、投票率が72・2%だったので、離脱支持の選挙民1741万742人は、有権者総数4650万1241人に対して34・5%、国民の4割に満たなかった。40%の関門があれば不成立だ。
ところで、日本の国民投票法には、憲法改正成立の要件として、有権者総数に対する比率の制限がない。現実に、昨年の埼玉県知事選挙は投票率26・63%だったが、この場合、有権者総数のわずか14%の賛成で成立することになる。
このたびのイギリスでは、EU離脱に投票した人々の間からも、投票しなかった人々からも、投票が終わって3日のうちに、後悔の声が噴出し、再投票を求める署名が300万を超えた。
このことは、二つの可能性を示している。一つは、イギリスのEU離脱の影響について熟慮せずに、移民の流入などへの生活上の不満から、勢いでEU離脱に賛成票を投じたが、世界の反応を見て、大ごとだと分かって気が変わった人々の存在、そしてもう一つは、最終段階で「残留優勢」が伝えられたため、それなら自分が投票に行かなくても大丈夫だと思って、投票に参加しなかった残留派の存在である。投票日まで世論調査結果が公表されるなかでの国民投票だったから、いわゆる「アナウンス効果」の可能性がある。ぜひともEU離脱をしようとする有権者は、世論調査で残留優勢と言われればむしろ積極的に投票に出向くが、EU残留派からは投票に行かない者が出る。残留派があと2~3%投票したら、結果は逆転する。今回の国民投票の結果は、英国民の多数が望まない選択だったのかもしれないのだ。
何はともあれ、投票結果は投票結果である。一旦行われた国民投票については、国民が入れ替わるか、イギリスを取り巻く状況が一変しなければ、やり直す合理的根拠がない。代議制民主主義の決定なら、政府の政策選択失敗に対しては、選挙による政権交代、あるいは内閣の更迭で政策変更が可能だが、国民投票はやり直しが難しい。
「民の声は天の声」というが、「天の声」の実態は、「たまには変な声がある」どころか、始終不安定であることを、今回のイギリス国民投票は示した。国民投票、住民投票は、同じ国民でも投票実施のタイミングしだいで賛成多数にも反対多数にもなるし、投票の制度設計しだいで結論が正反対になるのである。しかも、一度出た決定に悔悟の声が大きくても、改めることは容易ではない。それが国民投票なのである。
(あさの・かずお)






