台湾金門島 「対中」正念場迎える馬総統
新グレートゲーム 第2部
幻想だった中国の平和的台頭(8)
対岸の中国福建省厦門(アモイ)まで、最短部でわずか2㌔弱の金門島は台湾に属する。
その厦門から金門島に渡った。わずか1時間の船旅だ。フェリー「和平の星」のチケット代金は約3000円。南シナ海から流れ込む暖流に大陸から北風が吹き抜け、霧に煙る台湾海峡が今の中台関係を象徴していた。
金門島は国共内戦で敗北し、台湾に追い込まれた蒋介石の国民党政権が、大陸への反攻拠点とした最前線の島だ。
金門島西部の軍事用トンネルだった翠●(「羽」の下に「隹」)山坑道を訪ねた。坑道は入り口こそ鍾乳洞のイメージだが、下っていくと1961年に完成したトンネルや海につながった地下埠頭が見学できる。岩盤をくりぬいてつくったこの地下埠頭(ふとう)には42艘(そう)もの大陸上陸用船舶を隠し、国民党軍の反転攻勢の拠点となるはずだった。
坑道は海に向かってU字型になっていて出口は二つ、海を含めれば約600㍍近いトラック型になる。一辺の長さは約250㍍。結構、長い。花崗岩を削岩した跡が今でも生々しい。蒋介石の意思の固さそのものとも思えた。
誰もいない坑道に流れていた音楽は、パッヘルベルのカノンだった。最後まで大陸への反転攻勢をあきらめなかった蒋介石へのレクイエム(鎮魂歌)に聞こえた。
金門島はかつて、台湾を攻略しようとした中国人民解放軍と激しい砲撃戦を繰り広げた。1958年8月23日から始まった「八二三砲戦」では、本土から総計47万発の砲弾が小さな島に撃ち込まれた。結局、砲撃戦は70年代まで続くことになる。
一見するとのんびりした瀬戸内の小島と変わらないが、金城市役所脇にある見上げるようなトーチカや畑に落下傘部隊の降下を防ぐためのコンクリート製の柱がブドウ畑と見まがうほど無数に突き立てられている光景を目にすると、この島が最前線の島だったことを実感する。
金城バスターミナルの小用トイレに「打炮(撃て)」と落書きがある。金門島でしか通用しないジョークだ。
泊まったホテルの脇には、金門島名物となった金門包丁のショップがあった。豪雨のように降り注いだ砲弾の不発弾を拾い集めては、それを包丁やナイフにして売っている。
店員の燕郷(イエンチン)さん(24)は「ナイフや包丁だけでなく、斧(おの)や重い肉切り包丁からフルーツナイフまで刃物はなんでも取り揃(そろ)えられる」という。料金も日本円にして2000円から7000円までと幅広い。
本店では連日、中国人観光客を乗せた観光バスが横付けされ、砲弾を炉で溶かして金づちでたたきながら包丁などを作る作業現場を見学している。
中国が撃ち込んだ砲弾を包丁に変えて中国人に返す作業だ。
なるほどうまい商売だ。元手はただ。メーンの顧客は中国人。本来中国人のものを中国人に返す。しかも金を払ってもらってだ。
今秋、北京で開催されるAPEC(アジア太平洋経済協力)会議では台湾の馬英九総統が招待され、習近平国家主席と会談する公算が強い。ビジネスで外堀を埋め政治の本丸を落とす中国の「以商囲政」戦略(商売をもって政治を囲む)のいよいよ正念場だ。
台湾海峡を挟んで中国は福建省を中心に短距離弾道ミサイルや巡航ミサイルを1400基、台湾に照準を合わせている。
馬総統の課題は、これらの政治的圧力と軍事的脅威に対抗でき、習主席と対等に渡り合えるバーゲニングパワーをどう獲得するかだ。
(池永達夫、写真も)