ラオス・ボーテン 輸出された幽霊都市
新グレートゲーム 第2部
幻想だった中国の平和的台頭(1)
マカオがラスベガスのカジノを凌駕(りょうが)し、シンガポールがカジノ参入に成功した事実は、東南アジアのカジノビジネスに希望と活力を与えている。
カジノビジネスに一番熱心なのはカンボジアであり、次にラオス、ミャンマーと続く。
ただマカオやシンガポールのように必ずしも成功しているとは限らないのが、カジノビジネスの難しさだ。砂糖に群がる蟻(あり)のように、キャッシュが大きく動く所は、悪徳の巣窟となりやすい。それを仕分けする能力がないと、カジノビジネスは自滅の道を余儀なくされる。
隣国の富裕層をターゲットにするビジネス形態から、これらのカジノはプノンペンのカジノを例外にすべて国境沿いにある。
中国雲南省昆明から高速道路でつながっているラオスの国境ボーテンにも10年前、カジノ都市「磨丁(ボーテン)黄金城」が忽然(こつぜん)と誕生した。
このカジノ都市は、1万人もの人口を擁した時期があった。それもすべて中国人ばかりだ。中国人がラオスに入植してつくり上げた人造都市でもあった。そこには中国の郵便局があり、使われる通貨は人民元。時計の針も北京時間に合わせていた。いわば磨丁黄金城は、ラオスにある中国の租界地だった。だが、そのゴールド・シティーがゴーストタウンになるのに時間はかからなかった。カジノの閉鎖は3年前のことだった。
その磨丁黄金城を訪ねた。カジノの玄関はベニヤ板で閉鎖され、わずかな隙間から覗(のぞ)き見ることしかできない。セキュリティー用の金属探知機のゲートが左脇にあり、往年の時代を彷彿(ほうふつ)させる。中は荒れ放題で、シャンデリアだけがそのまま残り、蜘蛛(くも)の巣がかかっている。
カジノに隣接するビル群には人の気配はない。廃墟(はいきょ)と化した高層ビルの広大な1階は吹きさらしになっていて、牛の糞(ふん)が散乱している。どうやら近くの農民が雨期に牛を避難させたらしい。
ネットカフェや郵便局、商店街はすべてシャッターが下ろされている。それでも、ホテルは2店だけオープンしている。しかも五つ星クラスのホテルがツインで100元(1元=約17円)と割安だ。通常料金は480元、それが100元だ。上海だと一つ星でも100元では泊まれない。
しかし、フロントには誰もいず、受付嬢は警備員とホテルのロビーのソファでだべっている。中国人受付嬢にどういった人たちが泊まるのか聞いた。彼女は「カジノが閉鎖されるまで、中国から遊びにやって来たビジネスマンや役人が多かったけど、今じゃトラックの運転手などがイミグレ待ちの時間を、ここで潰(つぶ)したりしている」という。
それでも庭はきれいだ。ブーゲンビリアなど南国らしい植物がリゾートホテルを演出している。しかし通常、誰もこうしたゴーストタウンで一晩を過ごしたいとは思わない。ここでは都市が持っている雑多な情報や人との触れ合いが皆無に等しい。1万人いた人造都市は、今では300人にまで激減している。
ビルの脇には通りの名前が書いてあった。
その名も「黄金通り」。中国の不動産バブルとともに、あちこち出現している「鬼城」。いわゆる立派な建物は林立しているが、人が住まないゴーストタウンが中国からラオスにも輸出された格好だ。
カジノが閉鎖された直接の原因は、治安の悪化と麻薬の横行だ。資金洗浄と娯楽を求めて中国からやって来たカジノの顧客たちに、売春婦と麻薬の売人たちがまとわりつき、さらに金銭トラブルで殺人事件が多発するようになった。
ボーテンには「黄金の夢」を求めて転落していった「拝金主義の徒花(あだばな)」が散っている。
(池永達夫、写真も)






