「前文」に反する9条は憲法違反
憲法改正 ここが焦点(1)
静岡県立大特任教授 小川和久氏(上)
今年、日本国憲法は連合国軍占領下の公布から満70年を迎える。既に公布当時とは劇的に変化した内外情勢と憲法条文との乖離(かいり)が多くの弊害を生んでおり、その溝を埋めるため真摯(しんし)な議論と積極的な行動が何よりも必要となっている。そこで各界の専門家に憲法改正の焦点について語ってもらった。(聞き手=政治部・小松勝彦)
安全保障法制は憲法違反だという意見もあるが。

おがわ・かずひさ 昭和20年熊本県生まれ。陸上自衛隊生徒教育隊・航空学校修了。同志社大学神学部中退。新聞記者などを経て、軍事アナリスト。国家安全保障に関する官邸機能強化会議議員などを歴任。著書に『日本の戦争力』『日本人が知らない集団的自衛権』など多数。
憲法違反というのではなく、過去の内閣法制局の見解との齟齬(そご)があるという話なら正しい。憲法違反ではない。なぜかというと、最高法規である日本国憲法が認める中で、米国との同盟関係を結び、国連にも加盟したからだ。集団的自衛権は、国連憲章第51条に、「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間、加盟国は個別的・集団的自衛権を行使できる」と明記されているし、日米安保条約にも内包されている。そもそも日米同盟を結び国連に加盟したことが、すでに集団的自衛権の行使を前提としているのだ。
その中で、1972年に「権利はあるが行使せず」という政府見解が出てくる。これは集団的自衛権は持っていることは認めるが、憲法第9条と合わないので使わない、という判断をしたものだ。これは政策判断だ。憲法解釈の変更とまではいかない。それから43年たって、国際的な安全保障環境は変わり、世界平和に対する日本の責任は大きくなっている。その中で、持っている集団的自衛権を使って、自国の安全と世界の平和をさらに進めようということで行使容認になった。これは憲法問題ではない。
集団的自衛権行使は憲法の認める範囲内ということだが、第9条との整合性はどうか。
憲法学者がおかしいのは9条だけで議論していることだ。私がテレビで「憲法9条は憲法違反だ」と言ったら、憲法学者らがみな黙ってしまった。彼らは頭が良いから瞬間に分かる。私は「あなた方は9条についてしか議論しない。9条があたかも日本国憲法の性格を決めているかのようなニュアンスで話しているが、日本国憲法の性格を決めているのは『前文』だ」と指摘した。
前文の文言が翻訳調だとか、日本の伝統文化に触れていないというのは重要ではない。日本国憲法の性格を規定する前文は、基本原則として三つ謳(うた)っている。日本は、国民主権の国、基本的人権の国、平和主義の国だと。前文が謳っている平和主義とはどういうものかというと、世界の平和を実現するために行動することを誓うといっている。そうであれば、少なくとも国連の平和維持活動(PKO)に部隊を出せるぐらいの軍事力は持つということになる。ところが、9条に照らすと軍事力は何も持ってはいけないことになる。前文の平和主義の精神とぶつかる9条こそが憲法違反なのだ。
国連の平和維持活動、安全保障に関わるミッションでも9条で禁じる武力の行使に反するか。
9条の第1項とぶつかる。そもそもPKOに部隊を出せるような軍事力は、今の自衛隊では足りない。今、南スーダンに派遣しているだけで自衛隊はアップアップしている。戦争ができる国になると反対している人たちはそういう現実をイメージしながら議論してほしい。
9条はどのように改正すべきだと考えるか。
少なくとも軍事力は持つ、侵略戦争はしないという格好で書いて、各論は、安全保障基本法のような法律にきちんと書くべきだ。憲法に各論まで書くわけにはいかないから、ごまかしが生じやすい条項でもある。解釈の幅がある程に完成度が低い。当然、前文との齟齬があってはいけない。





