国家維持のため軍隊は不可欠

憲法改正 ここが焦点(6)

日本大学名誉教授 小林宏晨氏(下)

憲法と現実との乖離(かいり)を埋める改正が必要ではないか。

小林宏晨氏

 憲法改正の必要性は私もずっと前から認めてきた。

 憲法を改正、改定するやり方は三つある。一つは、憲法に規定されている手続きによって改正する。これは普通の仕方だ。もう一つはクーデター、あるいは革命で現存の政権を倒して新しい憲法体制を作る。三つ目は、憲法の条文を変えないで解釈を変える。これが憲法変遷論の見解だ。実質的に他者によって憲法が制定されて、今でもウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム(WGIP)から逃れられない日本の心理状態があるわけだから、それ克服する一番いい方法は憲法変遷論の適用ではなかろうかと思っている。

憲法変遷論の適用ということであれば、安保法制も当てはまるか。

 今まで明確な形で行われたのは2回ある。1回目は朝鮮戦争の時に、日本は軍備を持てないという解釈が支配していた。ところが、マッカーサーの命令で警察予備隊ができ、それから日本が独立して数カ月もしない間に保安隊法ができ、また1年して自衛隊法ができた。その都度、国会で法律を制定したが、必ず、憲法との適合性が考察され、これは合憲だからということで警察予備隊や保安隊、自衛隊ができた。

 2回目が集団的自衛権の限定的な行使を容認した昨年の安保法制だ。

安保法制は違憲だと主張する学者もいる。

 憲法の解釈は二つにわけられる。一つは有権解釈で、これは行政府や議会、最終的には裁判所といった解釈権限のある人たちが権威ある解釈を行うもの。もう一つは学理解釈で、これを行うのは大学の教授などの学者だ。どちらが重要かというと、学理解釈は権限がある解釈者に対して論理的な解釈の仕方を提供するものだ。つまり、権限ある人に重要な資料を提供する、それ以上でも以下でもない。

共産党などは安保法制を「戦争法」とも批判している。

 主権国家は、その属性として必ず自己を守る権利を留保している。自衛権は自然権(仏語)とか固有の権利(英語)と呼ばれており、主権国家であれば当然に持つのが個別的あるいは集団的自衛権だ。

 この行使を認めた国連憲章の第51条は創設条項ではなく確認条項だ。本来持っている権利を国連が確認したということだ。だから、加盟国であろうとなかろうと、主権国家であれば個別的・集団的自衛権を持っている。それを「持っているけど、行使はできない」などという解釈が出ること自体がそもそもおかしい。

野党は立憲主義を守れと声高に叫んでいる。

 立憲主義は私も賛成だ。ただ、我々が理解する立憲主義だ。諸外国の比較憲法論をやれば、まず野党のような解釈が出るはずもない。どこの国でも憲法の変遷論を適用している。解釈の余地があり、国家の存続がかかっている場合には、当然、解釈の変更は可能だ。変遷論の一番大事な点は、状況に合わせて解釈を変えていって、最後に改定ということだ。改正しなければフラストレーションがたまって革命やクーデターが起きたりするから、そうならないように変遷論を適用する。そして、最終的には条文を変えていく。

自衛隊は、国民の支持も得ている。憲法に自衛隊についての条文を書き込むべきでは。

 当然、やるべきだ。日本はバチカンと違って、精神的な指導国家ではないから、現実問題として国家を維持するために軍隊は不可欠だ。現に9条第2項に「前項の目的を達成するため」という文句を挿入した芦田修正を適用すれば、侵略戦争を行わない軍隊であれば解釈が成り立つ。ただ、それができなければ、基本法を制定して、自衛隊がこういうことやると書くべきだ。

(聞き手=政治部・武田滋樹   解説室・窪田伸雄)

(終わり)