憲法9条の変遷 「自衛隊」も憲法適合性が前提に

詳解 集団的自衛権 安保法制案の合憲性(11)

日本大学名誉教授 小林宏晨

300

 日本国憲法は、占領下の異常状態の下で検閲を含む占領体制の様々な超憲法的制約の中で制定された。このため日本国民の憲法制定権力が行使されたと見なすには無理がある。むしろ米占領当局の意思が強く反映した、ある種の「協約憲法」と見なされる。

 「協約憲法」の、とりわけ憲法第9条の解釈の中で、占領軍の政策に相応するものが軍隊保持の禁止を提唱する「多数説」だった。当時の占領政策は日本の武装解除と非軍事化だった。しかも日本はその主権が極度に制限され、自前の軍隊がなく他国の軍隊に占領された状態にあった。

 確かに9条の「芦田修正」により侵略以外の目的のためには軍隊の保持も可能であるとの解釈も可能になったことから、第66条第2項(文民条項)の挿入が占領当局から要求され、これが実現した事実がある。

 しかし、当時の占領当局の非軍事化政策は、(たとえ侵略以外の目的であれ)軍隊の設立を可能にする解釈を許す環境ではなかった。占領下の日本における憲法解釈では、ひとまず「主権国家の論理」が停止した状態にあった。

700

日米共同訓練「オリエント・シールド2014」で砲撃を行う陸自隊員(手前)=2014年10月、北海道大演習場

 当時の憲法学界の主流を自他共に許していた東大憲法学は、その意味でも占領政策に合致した解釈を展開したのである。しかし、この解釈は占領下の現実に鑑みた憲法規範の説明ではあったが、あくまでも臨時の解釈であり、主権国家を前提とする解釈ではなかった。

 憲法解釈に際し、とくに注目すべき点は占領期間中に9条を裏付けとする平和主義の内容を決定的に方向づける重要な立法が行われた事実だ。朝鮮戦争勃発を契機として、占領当局の勧告(実質は命令)に従って制定された警察予備隊令がこれである。

 これが基礎となり52年に保安隊法、54年に自衛隊法が制定された。中に開始された「再軍備」の方向づけが独立後も踏襲されたのだ。まさに前記の一連の規範制定行為に「憲法変遷」の事実が認められる。これらは憲法適合性を前提とした規範制定行為だった。

 しかも最高裁は現在に至るまで自衛隊の存在を違憲と見なさないどころか日本国家の「無防備」「無抵抗」を明確に否定した。つまり最高裁が自衛隊を違憲であると解釈するまでは自衛隊の合憲性の推定が成り立ち、有権解釈が「憲法の変遷」をもたらしたのである。

 対日講和条約発効で日本が独立国家となった時点で、日本国民は自由な自決を行える好機だった。しかし占領政策を裏づけとした左派勢力が、議会で憲法改正に対する拒否勢力として3分の1以上を占め、憲法制定権力の自由な自決を実質上不可能にしたのである。

 学理解釈の「多数派」とは言っても、東大法学部が当時も、そして現在も最大多数の憲法学者を育成した事実があるだけであって、これが必ずしも多数派の論

理の正しさを証明するものではないのは自明のことだが。