集団的自衛権 国連以前の慣習国際法に由来

詳解 集団的自衛権 安保法制案の合憲性(6)

日本大学名誉教授 小林宏晨

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 1986年のニカラグアケース(注)で、国際司法裁判所は、集団的自衛権が国連憲章第51条においてばかりか、慣習国際法においても確立していると述べた。

 しかもそこでは小田判事が正当にも、その反対意見の中で、集団的自衛権が国連憲章以前の慣習の中で「固有の権利」(自然権)であるとの構想が十分に評価されていないと批判している。

 筆者の観点からしても、集団的自衛権は、個別的自衛権と異なって国連憲章第51条によって初めて創設されたのではなく、既に国連憲章以前に確立していた主権国家の自然権(固有の権利)が、同第51条で確認されたに過ぎない。つまり第51条は新たな設立条項ではなく確認条項なのだ。

 このための説得的用例はパリ不戦条約(1928年)前文で確認される。曰く、 「その相互関係における一切の変更は、平和的手段によりてのみこれを求むべく、又平和的にして秩序ある手続きの結果たるべきこと、及び今後戦争に訴えて国家の利益を増進せんとする署名国は、本条約の供与する利益を拒否せらるべきものなることを確信し…」

 その意味するところは、この条約署名国がひとたび他の条約署名国に武力攻撃を開始した途端、他の全ての条約署名国に、個別的であれ集団的であれ、条約違反国に対する武力行使の権利が発生することになる。

 結論として、国際連合加盟国でない主権国家も加盟諸国と同様に、集団的自衛権を行使できるし、また同時にこの権利からする利益を享有できる。

 条約に見られる集団的自衛を考えてみる。

 将来の武力攻撃に先駆けて諸国は、一定形式の条約、①相互支援協定②軍事同盟または③保障協定―を締結できる。前2者は、中立国には開かれていない。

 相互支援協定は、協定当事諸国が当事諸国の一国への軍事攻撃を当事諸国全体への攻撃とみなし、この状況下で相互支援を行うことを宣言する構想だ。1953年の米韓がその例とされる。協定では、自らの行動が自国の重大な利益に関わっていると判断した場合にのみ武力対象国支援のために武力支援を行っている。

 これに対し、A国がB国に対し武力攻撃を行った場合、C国はB国との相互支援協定がない場合でも、自国の重大利益に関わる場合、B国が反対しない限りB国支援に駆けつけることができる。

 同協定の典型的用例は、1939年の英国・ポーランド協定だ。協定は同年8月25日に締結、ナチスドイツの対ポーランド侵攻が9月1日に開始され、英国の対ドイツ戦争宣言が同月3日になされ、これが第2次世界大戦の勃発となった。10日以内の出来事だった。

 一方、軍事同盟の課題は、事前調整に欠ける場合、たとえ集団的自衛措置への政治決定が行われたとしても、主権国家のそれぞれの軍にとって侵略者に対する統一的行為は極めて困難であることだ。このことが平時軍事同盟を相互支援取り決めの根拠としている。

 確かに武力攻撃の対象となった同盟国の支援において、武力対応(そして最終的には戦争)を行うか否かの政治決定は、それぞれの同盟国政府に留保されている。しかし統合軍事参謀本部の設置は、個々の同盟諸国の決定の自由を大幅に制限することになる。

 注・ニカラグア・ケース 米国がニカラグア共産政権の転覆ため反政府勢力に対する支援などを行ったことに対し、ニカラグアが1984年に国際司法裁判所に米国を提訴した事件。