野党論をぶつ「公明」

「責任野党」に婉曲な物言い/自民と政策の近さ警戒か

 与党に野党を論ずる余裕が生まれるほど野党が弱いのか? 公明党の機関誌「公明」5月号に「『一強』時代の野党とは――その積極的意義を考える」と題する北海道大学公共政策大学院准教授・吉田徹氏の記事が載った。

 冒頭、「先の安倍首相の施政方針演説には『責任野党』という、聞き慣れない言葉が盛り込まれた。『責任』ある野党と『無責任』な野党の違いは何なのか、それは与党との距離からはかられるものなのか、多くの疑問が浮かぶ」と切り出すから、きっかけは安倍晋三首相が国会で政策実現のために政策協議を行い得る相手となる野党を「責任野党」と呼んだことである。

 つまりは、安倍首相の「責任野党」と見る政党へのエールが刺激的だったことは想像に難くない。

 吉田氏は英、独、仏、伊、米、スイスの例から「野党」を考察し、野党の在り方のパターンを政治学者サルトールの分類を引いて、「①『責任ある憲政的な野党』②『憲政的ではあるが無責任な野党』③『野党というよりは抗議体として位置づけられる無責任で非憲政的な野党』」など「多様な存在」と指摘する。

 このうち、旧社会党は②、共産党は③などの例はおもしろいが、これら諸外国の政治体制を比較した論述も、結局は「野党」というより政治自体が多様性をもっていると言ったもので、遠回りをした印象だ。問題は、表題にある「『一強』時代の野党の積極的意義」だが、これについては、「野党の究極的な役割は、与党が設定するアジェンダや争点と異なるそれを掲げ、社会の多様かつ部分的な利益を政治の場に伝達することにあるといえる」と主張した。

 その前に「『責任ある野党』が、与党の設定するアジェンダや争点をフォローしたり、補完したりすることを意味するならば、それは野党定義の矮小(わいしょう)化である。野党の役割は、行政府の監視やチェックを通じて、政権与党のアジェンダや争点設定を異なる角度から検証したり、別のアジェンダや争点を掲げて民主制における多元主義を確保することにあるからだ」と訴えている。

 これは簡単に言えば、安倍首相が「責任野党」と呼んだ相手の政党は野党らしくない、あるいは(「異なるそれを掲げて」)野党らしくしろと読めるのだ。

 後半国会で焦点となる集団的自衛権行使について、公明党は憲法解釈での行使は容認できないと反対姿勢を示した。このような安全保障問題や憲法改正をめぐっては公明党より、みんなの党や日本維新の会などの野党の方が自民党と政策的な距離は近い。公明党はもともと護憲野党であり、「加憲」も環境権やプライバシーなど新しい人権を想定したもので、9条改憲をめぐっては共産党や社民党に近い反対論がある。

 吉田氏の記事には「政権に参画した上で与党に対するチェック機能を働かせることであることは、野党にしか果たせない重要な役割」という一文も載るが、公明党には「自民党を政権内でチェックする野党」という考えもある。ただ、「政権内野党」の役割ばかり一部で期待されるのも「多弱」ゆえで、そこへ「責任野党」が登場し、どちらが野党なのか悩ましい感覚がありそうだ。

解説室長 窪田 伸雄