朝鮮戦争秘話 知られざる日本掃海隊の貢献

 自衛隊による戦後初めての国際貢献として、ペルシャ湾への掃海艇派遣(平成3〈1991〉年4~11月)が知られている。しかしその約40年前、朝鮮戦争が勃発した昭和25(1950)年の10月、GHQ(連合国軍総司令部)占領下の日本で秘密裏に「日本特別掃海隊」が結成され、朝鮮海域で機雷を除去する命がけの掃海任務にあたっていた。同任務に参加した、水産大学校(山口県下関市)名誉教授の吉澤正大さんの証言とともに当時を振り返る。
(社会部・川瀬裕也)

秘密裏に特別隊結成
旧海軍1200人、触雷で犠牲者も

 太平洋戦争の終戦後、日本中の港や沿岸の至る所には、多くの水中機雷が残されたままとなっていた。同戦争末期に米軍がB29爆撃機で大量投下したものや、日本が防備用に敷設したものなど約6万5000個の機雷が日本の主要な海路を塞(ふさ)いでしまっていたのだ。

吉澤正大さん

掃海の様子を話す、水産大学校名誉教授の吉澤正大さん(川瀬裕也撮影)

 資源や食料を確保するための海路を復活させることが日本復興の最優先事項とされ、昭和23年5月、海上保安庁創設と同時に庁内に掃海課が設置され、掃海任務にあたっていた。

 それから2年後の昭和25年6月、北朝鮮軍の南侵により朝鮮戦争が勃発。同年9月、仁川上陸作戦を成功させ、さらに元山上陸作戦を企図していた国連軍は、北朝鮮が元山沖に敷設した3000個に及ぶソ連製機雷に苦しめられていた。

 そこで機雷除去のため白羽の矢が立ったのが、高い掃海技術を有し、かつすぐ出動できる日本の海上保安庁掃海隊だった。当時GHQ占領下であり、米国との講和条約締結を目前に控えていた日本に、断る選択肢はなかった。吉田茂首相の指示で秘密裏に「日本特別掃海隊」が結成された。

 「全艇は速やかに下関に集結せよ」――。

 全国の掃海部隊に対して指令が発せられたのは同年10月初旬のこと。46隻の日本掃海艇、1隻の大型試航船および約1200人の旧海軍軍人が同作戦に参加した。元山、仁川、鎮南浦、群山の、計327㌔㍍の水道と607平方㌔㍍以上の泊地を掃海し、機雷27個を処分した。任務は全て極秘で行われたため、日本の国旗はもちろん、海上保安庁のマークや船名なども全て塗りつぶして行われたという。

韓国の掃海艇「YMS-516」

1950年10月18日、元山沖での掃海作業中、触雷して爆発する韓国の掃海艇「YMS-516」(米海軍歴史センター提供)

 掃海艇の整備を担当していた吉澤正大さん(当時32)は「PS56」(巡視船みおちどり)の機関長として作戦に参加した。

 現在101歳の吉澤さんは、高齢により体力的に弱ってはいるものの、写真を見せながら当時の事を尋ねると、昨日のことのように、「ドーン!ドーン!と激しい音が飛び交う中での任務だった」と、はっきりと答えた。

 吉澤さんは自著『日本はこうなったら核武装するしかないな』(平成23年アートヴィレッジ刊)の中でも「ともかく出発から慌ただしく異常であったから、上は日本政府の中枢から下は掃海部隊関係の現場まで、各人各様の戸惑いと不安と忙殺の中で過ぎた約2カ月であった」と振り返っている。

 掃海は、機雷に少しでも触れれば船が木っ端微塵に吹き飛ばされる大変危険な任務だ。当時の吉澤さんたちの不安と覚悟は想像を絶するものだっただろう。

 昭和25年10月17日、大きな爆発音とともに悲劇が起きた。元山沖にある麗島の南西4・5㌔㍍付近の海上で日本の掃海艇「MS14号」が触雷したのだ。死者1人、重軽傷者18人を出す大事故だった。亡くなったのは烹炊(ほうすい)員として乗り組んでいた21歳の中谷坂太郎さんだった。こうした多大なる犠牲の末、同年12月に同掃海隊は約2カ月の任務を終え日本に帰国した。

 吉澤さんの次男で、当時1歳だった誠さん(70)は、「父は愛国心の強い人だから、命令があった時も『国のためなら』と勇敢に出ていったのだろう。人知れぬところで国を支えて来た父を誇りに思っている」と話した。

 朝鮮戦争に参加した国連軍のリストの中に日本は含まれていない。韓国人の中には「日本人は韓国人が朝鮮戦争で血を流したおかげで特需景気で発展した」という声もあるようだ。しかし吉澤さんたちが犠牲を払いながらも、掃海によって海路を開き、人員や物資の輸送を可能にすることで、戦略・戦術的に大きな貢献を果たしたことは紛れもない事実だ。

 現在、日本や韓国を取り巻く安全保障の構図は当時と大きくは変わっていない。朝鮮半島の安定は日本の安全にとって死活問題であると同時に、韓国にとっても日本は安全保障上、決定的に重要な国である。日韓関係の軋轢が激しさを増す中で、日韓の安保協力の根幹である軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を韓国が破棄する動きにまでエスカレートしているが、これは韓国の安全保障にとって大きなマイナスだと言える。