ユダヤのチリ征服計画
ピューリタン革命を指導し英国の最高権力者となったクロムウェルは、かつての敬虔(けいけん)な軍人から「最初の帝国主義者」と呼ばれるまでに変身を遂げていた。彼は「斜陽の列強」スペインが新大陸と西インド諸島に領有する植民地を奪取する壮大な「西方計画」を対外政策の柱とした。その実現には古くから当該地域に仲間を送り込み、緊密な同族ネットワークを築いていたセファルディと呼ばれるイベリア半島出身のユダヤ集団の協力が必要だった。
実現した要塞構築計画
「西方計画」の嚆矢(こうし)となるスペイン領ジャマイカ島への英軍による攻略(1655~60年)。この時、クロムウェルの求めに応じ、新たな祖国イギリスのため軍事作戦上、貴重な進言を行ったのがセファルディ商人シモン・ド・カセーレスだった。西インド諸島在住経験があり、兄弟たちを同地に駐在させているので事情に明るかったのだ。協力理由は権力者に取り入るためだけではない。ユダヤの誇りを強く抱くカセーレスは、同胞に対するスペインの暴虐に復讐の鉄槌(てっつい)を加えたかったからだ。
スペインは隠れユダヤ教徒を摘発し財産を没収する異端審問を繰り返していたのだ。「ユダ族の末裔(まつえい)」を自任する彼は、スペイン人を「異端審問の犬」と呼ぶほど憎んでいたのだ。
クロムウェルに対する進言とは、奪還を目論(もくろ)むスペインからジャマイカを防衛するための要塞(ようさい)構築計画だった。場所は島の西端の港町サヴァナだ。石材、煉瓦(れんが)を用いての要塞化には数学に明るい技師が必要なので、200人の石工、煉瓦積み職人の他に数人の技師を派遣。彼らは築城技術の大家ヒューズ大佐の命に従うこと。シャベル、つるはし、石割り楔(くさび)等、道具、資材の数量も明記されている。現地の守備隊が必要とする軍需品補給の方法。必要な医薬品も現地の軍医たちと連絡を交わし調達を指示している。クロムウェルは上述の内容を現地の駐屯英軍司令官に伝え、実行させたのだった。
カセーレスによる第二の進言はスペイン領チリの征服計画だ。注目すべきは主力の遠征英国人部隊に協力するユダヤ歩兵1個中隊の募兵と現地での指揮をカセーレス自身が行い、併せて英国人部隊長を補佐すると約束している点だ。募兵対象は「スペイン憎し」の念が強いセファルディの若者たちだ。実現すれば古代ローマ時代以来絶えて久しい「ユダヤ人だけで編成された部隊」の1500年ぶりの復活となるはずであった。このような発案がなされたこと自体、当時の英国がユダヤびいきの風潮が強い時代であったことを示している。
数あるスペイン領の中からチリを選んだ理由は、未採掘の鉱物資源と防備が手薄で奪取が容易だったからだ。また北上すればペルー・ボリビア産の銀を陸路パナマ地峡を越え大西洋経由で本国へ運ぶスペインのルートを脅かすこともできる。さらにチリ沿岸に英海軍の拠点を築けば、中南米とフィリピンを結ぶスペインのガレオン船交易に打撃を与え、太平洋の海上輸送支配権にも食い込めるとカセーレスは考えたのだ。
目的実現のために陸兵1000人と軍需品を運ぶ輸送船4隻、護衛のフリゲート艦4隻の手配をクロムウェルに求めたのだ。兵を上陸させた後、フリゲート艦隊は太平洋上でのスペイン船襲撃を開始する予定だ。上陸地点となるチリ中部のラ・モーチェ島は天然の良港に恵まれ、周辺からは随分前にスペイン軍は撤退している。食料を提供してくれる友好的先住民もいる。ここに後方支援の砦(とりで)を築き、スペイン勢力駆逐に乗り出すという計画だった。
クロムウェルがこの計画を熟慮したことだけは間違いない。しかし実現には至らなかった。チリは英国からあまりに遠く、拠点構築後の維持は容易でないと判断したのであろう。限られた兵力を英国に比較的近い西インド諸島方面に集中的に投入する策をクロムウェルは選んだのだ。
漲っていた「冒険精神」
さてユダヤ人が職業軍人の世界から排除されていた中世・近世。軍事戦略に深い造詣(ぞうけい)を持つユダヤ人は稀有(けう)な存在だったはずだ。そうした中、英国の最高権力者から軍事戦略上の進言を求められたユダヤ人が存在したという事実は大変興味深い。カセーレスのような人材を輩出した17世紀セファルディ世界は冒険精神が漲(みなぎ)っていたのであろう。
(さとう・ただゆき)