天皇陛下の即位の礼に思う
拓殖大学国際日本文化研究所教授 ペマ ギャルポ
国民との深い絆に感銘
皇室の重要性再認識の好機
今、私は帝国ホテルの一室でこの原稿を作成している。10月22日は天皇陛下の即位の礼、大変おめでたい日である。天気は残念ながら雨降りであるが、心は晴れ晴れとした気分である。
早朝からNHKで陛下の即位に関する厳粛かつ伝統的行事を見て、日本国の他に例の無い2000年以上続く皇室の威厳と日本国民との深い絆に改めて感銘を受けた。私は家を出る前に皇室のさらなる弥栄(いやさか)と日本国と日本国民の安寧を心から祈願した。
前日夕方からホテルのロビーは到着した各国の国王、大統領、首相などの随行員たちでごった返していた。新聞によって190カ国と記したり174カ国となったりしているが、いずれにしても国連総会並みであった。
マッカーサーに“感謝”
これはまさに現在の日本国の力を表すものであり、改めて靖国神社に眠る英雄たちをはじめ、日本国民の先輩たちの血と涙の犠牲と貢献によるものであった。また日本国の皇室の外交の大きな成果でもあると思った。
アメリカの意図は何だったかは別として天皇制を残してくれたことにもある種の感謝をしている。なぜならば当時オーストラリア、イギリス、ソ連、中国などは天皇制の廃止を望んでいた。中でもひどかったのは中国であった。
私は今朝、改めて中西輝政氏の著書『日本人が知らない世界と日本の見方』(PHP文庫)を読み返してみた。著者は当時の中国の態度を以下のように記している。
「中国も、右のやりとりにゴーサインを出したことがわかっています。中国はもともと、戦争が終わったら天皇を中国に連行し、裁判にかけるつもりでした。蒋介石政権には孫文の息子の孫科が入っていましたが、孫科は一九四四年に行った有名な演説の中で『日本が降伏すれば天皇を捕らえられる。天皇を南京に連れてきて裁判にかける。或いは中国で監禁する』という事を述べています」
「一方、マッカーサーは『占領の協力者』としての天皇という存在を使いたかった。この考え方は、後に日本の大使となるライシャワーの考え方とも合致していました。彼は一九六〇年代に大使として日本にやってきますが、戦前は東大に留学して日本の事を非常に深く研究した人物です」
ここに書いているようにアメリカは決して日本のためを思って天皇制を残したわけではないが、日本人にとって天皇の存在の大きさと重要性を認識し、さらに当時の国際情勢の中において他の勢力の目論見(もくろみ)を阻止するための選択であったと思う。もちろん誰もが知っているように陛下のお人柄に深く感銘を受けたマッカーサー元帥の個人的な判断もあったであろう。
一方、中国においては蒋介石も毛沢東も孫文の後継者と自負しており根本的には1940年代の中国と今日の中国が変わっていないと言えよう。もし中国やイギリス、ソ連などの思い通りに進んでいれば日本も国の大黒柱を失い、場合によってはインド、ビルマなどアジアの王たちと同じ運命に遭い、国がばらばらになり、運が悪ければ現在のチベットやウイグル、南モンゴルなどと同じ運命に直面していたかもしれない。
日本の英字新聞や大手の新聞社などはおおむねトップページには常識的な見出しの記事を掲載しているものの、中身には天皇制の存在についてこれだけの経費を使って見返りは何があるのかとか、国民の54%が天皇による恩赦制度などについて否定的であるという記事を掲載した。
天皇を頂点に苦難克服
私は今回の即位式はむしろ日本人にとって天皇制の重要性と、それを支えて来た日本国民の叡智(えいち)を再認識し、苦楽を国民と共に過ごし、国民の精神的支柱として今日まで継続していることの意義を改めて確認する良い機会となることを願っている。
近年日本は度重なる自然災害を被り、多くの方々が犠牲になり、国家としても大損害を被っていることは心が痛む出来事である。私は、今までも日本は天皇を頂点に多くの苦難を乗り切ったように、今後も国家と国民が一丸となって災難を乗り越え、さらに発展することを信じている。