クロムウェルのユダヤ諜報団

佐藤 唯行

獨協大学教授 佐藤 唯行

 高校世界史にも登場するクロムウェル。英国王チャールズ1世を斬首し、共和政を樹立した指導者だ。一方、父を殺されたチャールズ2世は亡命先のフランドル地方で王朝復活の画策をめぐらしていた。動向を探るためクロムウェルが差し向けたのがユダヤ諜報(ちょうほう)団だ。統括したのはクロムウェルの腹心で「ユダヤの友」と仇名(あだな)された国務大臣ジョン・サーローだ。彼を介してクロムウェルが諜報団を上手に操縦していた事実は、次の同時代資料からも明らかだ。

 「欧州大陸との交流を持つが故に有能な諜報員であるユダヤ人をクロムウェルはうまく利用している。英国在住の彼らの元締に対し時宜にかなった報奨金を与えることで彼らを手なずけているのだ」

欧州各地に情報連絡網

 元締の名はアントニオ・カルバハル。大陸に亡命した英王党派とそれを助ける外国勢力(とりわけスペイン)の動向について信頼に値する情報を提供し続けた人物だ。これによりクロムウェルは敵対勢力による共和政転覆の陰謀を未然に防げたのだ。

 カルバハルの強みは表稼業の外国貿易を営む必要上、欧州主要都市に身内を駐在させ、平素より情報連絡網を整備していた点だ。これが裏稼業での情報収集活動に威力を発揮したのだ。

 彼にまつわる手柄話は1657年、工作員集団を船で英国に送り込む王党派の陰謀を察知・通報した一件だ。クロムウェルはフリゲート艦を差し向け、フランドル地方のオスタンド港に停泊中の件(くだん)の船を拿捕(だほ)したのである。破壊工作により共和政に揺さぶりをかけようとする王党派の目論見(もくろみ)は崩れたのだ。

 配下の密偵たちも大手柄を挙げている。フランドル地方に送り込まれたサマーズはその筆頭だ。英王党派の陣営近くに張り込み、傭兵の数と装備、英国へ運ぶ船の手配について、軍資金の額、主な支援者の名、チャールズ2世とスペイン国王との間柄、訪ねて来た外国要人の名、英国へ送り込んだスパイの名等を報告している。

 いずれもクロムウェル政権がぜひとも知りたい情報ばかりだ。密偵の張り込み、聞き込みだけで得られる情報ではない。アントワープ等、この地の主要都市で昔から大店を構えるユダヤ商人からの情報提供によっても助けられていたのだ。

 クロムウェル自身が直接密偵と接触していたことを示す興味深い逸話も伝わっている。それは彼が知人のオレリー伯と連れ立ち、旧王宮の廊下を歩いていた時のこと。物乞いのような身なりの男が突然現れたのだ。

 クロムウェルは伯と別れ、男を私室に招き入れた。男が言うにはフランドル地方に進駐するスペイン軍人に支払われる多額の給与がオランダ船に積まれ近日、英仏海峡を通過するとのことだった。クロムウェルは海峡警備の役人に急使を送り、当該船舶の洋上での拿捕と金貨没収を命じたのだ。作戦は成功し、スペイン軍の士気を下げる結果となった。後日、伯はクロムウェルから真相を告げられた。あのみすぼらしい男こそユダヤの密偵だったと知らされたのだ。

 クロムウェルがユダヤ諜報団の働きを高く評価していたことは、元締に与えた数々の特別待遇からも明白だ。55年、カルバハル一家は他の在英ユダヤ教徒に先んじて英国籍を与えられている。英国ユダヤ史上初の国籍取得者となったのだ。また英・スペインが既に交戦状態であった56年、カルバハルがスペイン領カナリア諸島に残してきた財産をスペイン当局が没収しようとした時、クロムウェルは外交ルートを用いて中立国船舶による財産運び出しに尽力してくれたのだ。

再入国・定住認めた恩人

 英国の最高権力者はカルバハルの私的事柄についても助力を惜しまなかったのだ。このような特別待遇と報酬だけがユダヤ諜報団のクロムウェルに対する忠誠心の拠(よ)り所となったわけではない。ユダヤ人にとりクロムウェルは大恩人だったのだ。

 1290年、英国王エドワード1世が発布した追放令により、長らく英国から法的に追放状態に置かれていたユダヤ人。この状態を改め、再入国と寛大な条件での定住を認めてくれたのがクロムウェルだったのだ。諜報活動での奉仕はクロムウェルへの返礼であったというわけだ。

(さとう・ただゆき)