台風15号被害に見る停電リスク
拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久
想定外だった通信障害
地域防災計画の見直し急務
9月8日の夜中から9日の明け方に首都圏を通過した台風15号は、千葉県を中心に甚大な被害をもたらした。本稿執筆(16日)時点で、千葉県内では停電(停電となった世帯は一時、1都6県で約93万4900軒に達した)と断水が続く地域があり、住民は不自由な生活をいまだに強いられている。千葉県内の農林水産業の被害は267億円を超える見込みだ。被害を受けた住民にとって、日常の生活を取り戻すまでにはまだまだ時間がかかるだろう。
伊豆大島などでも住宅に大きな被害が出ているが被害の全容はつかめていない。神奈川県横浜市金沢区では、高波で護岸が数百㍍にわたって崩れ、臨海部の産業団地が浸水。約400社の社屋約750棟が被害を受け、事業の再開までには数カ月かかる業者もいる。
被害状況を把握できず
台風15号の被害に伴う停電により、電話やインターネットの通信障害が起きたことで、千葉県や県内の市町村は被害状況の把握ができない状態が続いた。都道府県や市町村が策定する「地域防災計画」は、通信障害を想定していない。そのため、千葉県や県内の市町村では被害の全容がつかめない中、応急対応や復旧などの災害に係る事務・業務が機能麻痺(まひ)状態となった。今回の教訓から地方自治体は「地域防災計画」の見直しを速やかに進めるべきだ。
個人のレベルでも停電による通信障害により、テレビ(車載ナビゲーションのテレビを除いて)やインターネットでの情報収集ができなくなった。同時に携帯電話が通じないことで連絡手段が無くなり、停電地域は「陸の孤島」と化した。唯一、電源が乾電池の防災ラジオを備えていた家庭では、情報を得ることができた。
昭和34(1959)年9月26日、和歌山県潮岬に上陸した伊勢湾台風は、伊勢湾奥の低平地を泥の海に変え、東海地方を中心に中国・四国地方から北海道までの広い範囲にわたって大きな被害をもたらした。特に伊勢湾に面した愛知・三重両県の被害が甚大だったため、この名が付けられた。明治維新以降の台風被害の中で、人的被害が最大なのが伊勢湾台風(死者・行方不明者5098人)である。
伊勢湾周辺の被害が大きかったのには幾つかの要因があった。台風の通過時刻と伊勢湾の満潮が重なったことが挙げられる。名古屋地方気象台の予想では、高潮は2㍍と予想されていたが、実際には名古屋港で最高5・3㍍を記録し、堤防を超えて海水が海抜ゼロ㍍以下の低平地に流れ込んだ。さらに、名古屋港の貯木場にあった大量の木材が、海水と一緒に市街地に押し寄せる。
台風が上陸する午後6時ごろ、強風により名古屋市内は停電する。電池式ラジオであれば停電しても受信できたが、当時の主流は電気を使った真空管ラジオだった。停電と同時に多くの家庭で台風に関する最新の情報を入手できなかったことが被害を大きくした。高潮災害の危険地帯でありながら、市民の防災意識の欠如、行政の対応の遅れや、高潮を防ぐための堤防の不備も被害を大きくした要因だ。
そして、伊勢湾台風の被害を契機として、2年後の昭和36年11月、戦後の防災対策の転換点となる「災害対策基本法」が制定されたのである。
首都直下地震起きたら
首都圏で暮らす日本人は、千葉県で起きている事態を他人事(ひとごと)として呑気(のんき)に捉えるべきではない。首都直下地震が起きれば、首都圏全体が停電と断水に長期間見舞われるリスクがあるからだ。避難所も停電によりエアコンなどが使用できなければ、熱中症や最悪の場合には災害関連死を引き起こす可能性もある。タワーマンションなどでは、停電により長期間エレベーターが停止し、断水によりトイレが使用できなくなれば、建物が壊れなくても在宅避難は難しくなる。
今回も自衛隊による給水支援や、市町村から住民にペットボトルが配布されたが、3日間分(可能であれば1週間分)の水を各家庭で備えておくことぐらいは、公助に依存しない自助の防災対策として実施してほしい。
(はまぐち・かずひさ)






