平成の御代の終わりに
東洋学園大学教授 櫻田 淳
踏ん張りどころ」の日本
「弱さ」克服し「安泰の時代」へ
平成の御代が終わる。平成の御代の30年の歳月の中で、特に2000年以降、日本の人々は、何を経験したか。それは、リーマン・ショック、すなわち「百年に一度の経済危機」であり、東日本大震災、すなわち、「千年に一度の震災」である。日本の人々に対して、次に何か途方もない「災厄」が降り掛かるとすれば、それは、どのようなものか。
中朝からの「災厄」懸念
それは、おそらくは、北朝鮮の核・ミサイル案件での「暴発」を含めて、北朝鮮・金正恩体制の「動揺」や「瓦解」の影響が及んで来るとか、あるいは中国の「悪(あ)しき動向」の影響が及んでくるというような事態であろう。
北朝鮮・金正恩体制が、今後数十年も存続するとは信じ難い。国際NGO団体「フリーダム・ハウス」が発行する『世界における自由 2019年』報告書における「自由度」指標上、北朝鮮に与えられた評価は、100点満点中、わずかに2点であり、それは、低値を示す国々が集中するアジア・アフリカの中でも、特に低いものである。北朝鮮・金正恩体制は、他のアジア・アフリカ諸国の権威主義体制と同様、永続性を期し得ず、壊れる折には意外に呆気(あっけ)なく壊れるであろう。
習近平(中国国家主席)麾下(きか)の中国も、既に「成長の天井」に達し、その対外姿勢が招いた米国を含む「西方世界」諸国との軋轢(あつれき)はいよいよ露(あら)わになっている。日本にとって、次の「災厄」が来るとすれば、それは、対外関係に絡むものになるのであろう。
ところで、従来、日本の失敗は、大概、「自分に対する過小評価」から生じてきた。それは、「貧しい」とか「競争に勝てない」という言葉に反映される意識に結び付いてきたものである。「資源がない」という意識も、その事例であろう。しかし、そうした「自分に対する過小評価」意識が、戦前には無理な海外進出を招いたし、戦後には消極的な対外関与の理由となった。そうした対外姿勢上の「弱さ」こそが、何よりも克服すべきものであろう。
例えば、「資源がない」という意識について言えば、南鳥島周辺のレアアースを含む海洋資源の存在は、日本が実は「海洋資源大国」であることを明らかにしている。そうした意識は、海洋資源を適切に管理・利用していく際には、今や払拭するに越したことはない。
経済規模について言えば、民主主義体制下、しっかりとした経済統計の根拠を持つ国々の中では、日本は、依然として「世界第2の経済大国」である。日本の対外純資産残高は、2017末時点で328兆4470億円であり、それは、27年連続で世界最大の水準である。
世界各国における「魅力度ランキング」を設定すれば、日本は例年、上位に名を連ねている。前に触れた「自由度」指標では、日本への評価は、96点に達している。日本の人々には、対外関係に際して何も萎縮する必要はないということになる。
そうであるとすれば、日本にとっては、平成から令和へと世が移ろうとしている今は、一つの「踏ん張りどころ」かもしれない。今の「踏ん張りどころ」を乗り越えていければ、日本にとっては、「安泰の時代」が来る。
過去7年近くの「アベノミクス」の展開は、長らく下降局面にあった日本経済を反転基調に乗せた。安倍晋三(内閣総理大臣)の外政家としての声望によって、日本の対外影響力は、確かに担保されている。特に米豪印3カ国との安全保障提携を盤石に固めつつ、TPP(環太平洋連携協定)などの枠組みを通じて環太平洋諸国との「協調」を保つとともに、中国との不用意な「確執」を避けていられれば、その「安泰の時代」は長く続くであろう。
国民の「強き意志」次第
平成の御代の30年の歳月の中で、日本の「災厄」は通り過ぎた。来る令和の御代は、近代日本の五つの御代の中でも、最も輝かしきものにしたいものである。全ては、日本の人々の「強き意志」に懸かっている。
(さくらだ・じゅん)






