排他的ナショナリズムの脅威
アメリカン・エンタープライズ研究所客員研究員 加瀬 みき
ストレスためる白人男性
非白人移民を「侵略」と見なす
またもや大量殺戮(さつりく)事件が起きた。それも自然と平和の代名詞のような小国ニュージーランドのクライストチャーチで二つのモスクで信者たちが銃撃された。世界各地で繰り返されるこうした事件には恐ろしい共通点があるが、効果的な対応策を見いだすのは難しい。
パキスタンやシリアなどからの移民、難民をはじめ死者50人、負傷者50人という大量の被害者数を出した今回の事件は、犯人が犯行をストリーミングし、冷酷な殺人事件が生で世界中に流れ、またそれを見て応援した人々がいたことが驚愕(きょうがく)をさらに深くした。
タラント容疑者はオーストラリア人、28歳の白人男性。スポーツ・トレーナーだったが、2010年頃から世界各地を旅したとされる。どこでも厚遇され、さまざまな文化が温かく迎えてくれたと述べている。パキスタンや北朝鮮をも訪問し、パキスタン人は「真面目で、優しく、世界中で最も訪問者を歓待してくれる」とフェイスブックに記していると報道されている。
しかし、犯行前に掲載した78ページにわたるマニフェストには、自分は人種差別主義、民族国家主義、エコファシストと記し、移民やムスリム、ユダヤ教徒、改宗者を痛烈に非難している。そして自分はヨーロッパ人であり、文化も、哲学的信条もヨーロッパ。何よりもヨーロッパ人の血が流れていると称している。
タラント容疑者は犯行の目的は「われわれの土地を侵略者から守ること」「移民の比率を下げること」そして「アメリカにおける分裂をさらに深刻にし、内戦を誘発すること」と記している。
アメリカの名誉毀損防止同盟の過激派問題を扱う部署によれば、17年には白人至上主義者による殺人事件が前年の2倍以上に上った。白人至上主義者やその他の過激保守主義者の起こした死傷事件は17年の全凶悪事件の59%を占めると報告している。
欧州でも同じ潮流が勢いを増している。ドイツではドイツのための選択肢党(AfD)が一昨年の選挙で躍進し第3政党となったが、5月の欧州議会選挙ではAfDのほか、フランスの国民連合やイタリアの五つ星政党など反欧州連合(EU)、反移民を掲げる政党が票を伸ばすとみられている。
移民やムスリム、黒人などを狙う犯罪の数が増え、過激化するに伴い、各国でナショナリズムとは何かが議論される。英国の歴史家で哲学者であったアイザイア・バーリンは、1991年、ユーゴスラビア内戦中のインタビューで人種差別もナショナリズムも決して消えることはない、ナショナリズムはストレスが負わせる傷口から生まれると述べている。
では近年、白人、特に白人男性はどのような「ストレス」を感じているのだろう。アメリカでは女性や黒人、ヒスパニックなどマイノリティーや弱者への差別を是正するために、彼らに対する積極的優遇措置政策が採用された。しかし、結果として、そうした人々と同じあるいはより優れた成績や技能を有する白人男性が希望大学に入学できなかったり、職を得にくかったりという事態も起こった。同時にアメリカでは白人人口もクリスチャンの割合も確実に減っている。さらにはグローバル化により教育や技能レベルの低い人々が取り残された。非白人でも同じ理由で取り残される人々がいても白人、特に白人男性のプライドはより深く傷つけられる。
黒人大統領の誕生は消えることのない米国社会の緊張をさらに深めた。黒人は涙を流し喜んだが、白人至上主義者が刺激され、彼らをはっきりと非難しない現大統領がその勢いを増したのも間違いない。黒人は社会環境の改善も夢見たが、黒人への差別は広がり、白人警官による黒人射殺事件も後を絶たない。
タラント容疑者はそれぞれの母国にいる非白人や非クリスチャンを温かい目で見ているが、そうした人々が「白人クリスチャンの国」に来ることを侵略とみなし、銃撃した。アメリカの白人至上主義者も同じように異分子を嫌う。ムスリムまたはメキシコとの国境を越え肌の色の違う人たちが「侵略」してくるとみなす。
バーリンはナショナリズムを自国の文化や歴史をユニークなものとして尊重し愛するのと、それ以外のものを排除する排他的なものがあると述べているが、タラント容疑者やアメリカの白人至上主義者のナショナリズムはまさに排他的なものである。
ニュージーランドでの事件後、トランプ米大統領は白人至上主義者の数は増えておらず問題ではないと主張するが、民主党大統領候補の一人ベト・オルーク前下院議員は、自分は白人として多くの恩恵を受けてきたと認める。白人男性の中には民主主義やグローバル化が、当然としてきた自分たちの権利を奪うと怒り、欧米の白人の中には自分たちが築いた文化や歴史が壊されると脅威に感じる人たちがいる。
しかし変化は止められない。バーリンは孤独というのは一人であることでなく、気持ちが通じ、言葉にしなくとも理解し合える人が周りにいないこと、とも述べたが、人種や宗教、歴史が異なる人々を脅威と感じず、通じ合える安心した関係を築くのは努力と時間がかかる。
(かせ・みき)






