「竹島の日」と日韓主張の対立

拓殖大学大学院特任教授 濱口 和久

「先占」の原則に則り編入
講和条約発効で日本領と確定

濱口 和久

拓殖大学大学院特任教授 濱口 和久

 今年も2月22日に「竹島の日」式典が島根県松江市で開催された。日本政府からは安藤裕内閣府政務官が出席。政務官の出席は7年連続となる。現在、日韓関係は戦後最悪の状態が続いている。そして、例年以上に「竹島の日」式典に対して、韓国から激しい抗議や反発が官民挙げて行われた。

 竹島の領有権は、昭和40(1965)年の日韓基本条約が締結された際、日韓の政府の間で解決を見ないまま先送りされ、現在も韓国が不法占拠を続けている。

 竹島の領有権問題の発端は、昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効で日本が主権を回復する3カ月前の同年1月18日、突然、李承晩大統領が火事場泥棒のごとく海洋主権宣言「李承晩ライン」を一方的に公海上に引いたのが始まりだ。

 李承晩ラインについては、日本だけでなく米国、英国、中華民国も抗議したが、韓国は聞く耳を持たなかった。

 サンフランシスコ講和条約(第2条a)では、日本による朝鮮の独立承認を規定すると同時に、日本が放棄する朝鮮の領域は「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定されている。昭和24年11月までの米国草案では、日本の朝鮮放棄の範囲は「朝鮮並びに済州島、巨文島、鬱陵島、竹島を含む沖合小島嶼」とされていた。ところが、シーボルト駐日政治顧問の米国国務省に対する「竹島の再考を勧告する。この島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われる」との提言がきっかけで、竹島放棄は以後の草案から全て外されることになる。

 それに対して、韓国は同条約には竹島を日本領土とするという記載がなく、連合国による1943年のカイロ宣言を根拠に、竹島は日本領土ではないと主張した。領土の最終決定は講和条約によるのが国際法の約束である。日本の行政管轄権から竹島を除外した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令第677号も、サンフランシスコ講和条約により失効している。同条約の発効により、日本の領土の範囲が確定し、竹島が日本領土であることも最終的に確定したのである。

 竹島が発見された正確な年月は不明だが、日本は古くから竹島を認識し、鬱陵島へ渡航するための中継地として利用してきた。元和4(1618)年に大谷、村川の両家が鳥取藩を通じて、鬱陵島を徳川幕府から拝領し、約70年にわたり独占的に事業を行ったという記録が残っている。

 その後、鬱陵島の帰属が李氏朝鮮と徳川幕府との間で問題となり、元禄9(1696)年に徳川幕府は鬱陵島への日本人の渡海を禁じる。そして、鬱陵島を朝鮮領土として認める。このとき、竹島はなんら問題になることはなく、鳥取藩の回船業者による経営が引き続き行われた。安永8(1779)年に長久保赤水が作成した経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な『改正日本與地路程全図』のほか、日本には鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載した地図が多数存在している。

 一方、韓国では大韓帝国時代の1882年と1900年の2度にわたって鬱陵島の現地調査を行っている。その際にも竹島を確認していない。韓国は19世紀末にすら確認できなかった竹島(韓国名・独島)を自国の領土と主張すること自体無理がある。また韓国内での竹島に対する文献解釈の誤りについては、拙著『だれが日本の領土を守るのか?』(たちばな出版)をご覧いただきたい。

 日本が竹島を自国の領土として編入する直接のきっかけは、明治37(1904)年9月29日に、島根県隠岐島民の中井養三郎が内務・外務・農商務3大臣に対して、竹島の領土編入および貸し下げの願い出からである。

 これに対して、日本政府は明治38年1月28日、「竹島ヲ本邦所属トシ島根県所属隠岐島司ノ所管ト為シ」との閣議決定を行う。竹島は「他国ニ於テ之ヲ占領シタリト認ムベキ形跡」のないことを確認し、無主の地に対する領域取得の「先占」という国際法の原則に則って領土編入に踏み切った。このとき、竹島の編入の事実は新聞にも発表されており、秘密裏に行われたわけではない。大韓帝国政府や他国からは、一件も抗議はなかった。近代国際法から見ても、竹島の編入は手続きに何ら問題のない合法的なものであった。

 島根県は閣議決定および内務大臣の訓令に基づき、同年2月22日に「島根県告示第40号」を発して竹島を島根県に編入する。

 竹島が島根県に正式に編入されて100年の節目に当たる平成17(2005)年に島根県議会で制定されたのが「竹島の日」なのである。

 日韓基本条約締結後、日本の歴代政権は竹島の領有権については、韓国側が問題行動を起こすたびに抗議はするが、それ以上の対抗手段を講じてこなかった。韓国による竹島の不法占拠が固定化する前に、日本政府は竹島の領有権問題を解決するためのあらゆる行動に出るべきである。

(はまぐち・かずひさ)