御代替わりの年に思う
哲学者 小林 道憲
国民の営み映し出す天皇
日本の共通意志を代表し統合
今年は、天皇の退位と即位のある記念すべき年である。やがて新元号も公布され、平成も終わりを告げる。
思えば、波乱の多い平成であった。特に、わが国は、大地震、台風、豪雨など、たびたび自然災害に見舞われ、大変な困難に面してきた。その間、両陛下は、たびたび被災地に出向かれ、心から被災者を見舞われ、お励ましになってこられた。その思いやりの深い労(いたわ)りのお言葉によって、被災者がどれほど励まされてきたか計り知れない。両陛下は常に国民の安寧と平安を祈り、国民の思いに寄り添ってこられたのである。
ここには、天皇が、国民の悲しみや希望などさまざまの感情をおのが心にそのままに映しとり、その天皇のお心によって映し出された悲しみや希望を、また、そのままに国民が映し受けるという関係が見られる。そのような天皇と国民の間の相互の映し合いというところに、わが国が維持してきた天皇と国民の関係があったのではないか。
天皇は、国民のあらゆる行動、表現、心情を映しとり、国民は、また、天皇に映し出された自分たちの姿を見、そこで、国民と国民、国民と天皇が一つになる。天皇は、そのように、一見バラバラに見える国民のさまざまな在り方を映しとるという行為によって、国民を一つに結び合わす役割を果たしている。それは、陛下が園遊会などで各界の代表者と会われ、お言葉を掛けられるとともに、代表者の話を誠実にお聞きになるというようなことにも現れている。
このようなことは以前からの皇室の伝統でもあったのであり、例えば、それは、歌会始の構造にも現れている。天皇が、多くの歌となって表現された国民の心情をお聞きになり、それを自らの心の中に映し出され、そしてまた、自らもそのお心を歌い返されるというのが、歌会始の儀式なのである。これも、多様なものを統一する天皇の役割の表現の一つと言ってよいであろう。
実際、勅撰(ちょくせん)和歌集が何度も編まれ、天皇から庶民に至るまでのさまざまの歌が等しく収集されたことがあるように、それは日本の伝統だったのである。
文化的面ばかりでなく、天皇は、当然、政治をも映し出す。今まで多くの権力者が登場してきて、国民を統治してきたが、天皇はいつもこの統治の精神的源泉であり続け、これを見守ってきた。天皇は、政治、学問、芸術、宗教すべてを含む日本人の生き方、つまり日本人の生の様式、あるいは日本文化の全体性を映す。そのことによって、天皇は日本文化を統一し、それを象徴し、表現する。天皇は、単なる政治概念だけからはとらえられない。天皇は、それを超える広い意味での文化概念なのである。
天皇は、国民のあらゆる営みを映し出すことによって、国民一人ひとりを結び付ける力を発現する。天皇は、そのようにして、いわば国家という花の芯の役割を果たしているのである。
天皇が国民の意志を統合する力を持つのは、国民と国民の間の紐帯(ちゅうたい)、精神の結び目の役割を果たしてきたからである。天皇が国民の結び目の役割を果たしてきたが故に、国家の同一性は保たれてきた。そして、これが拠(よ)り所になって、国家は共同体として安定する。天皇は、日本にとって、そのような安定性の原理なのである。
しかも、この国民の統合された意志は、単にバラバラの勝手な意志ではなく、昔から培われてきた言語や習俗、歴史や伝統、文化や宗教などによって形づくられてきた共通意志でもある。この共通意志の象徴として、天皇は存在する。
この天皇という精神的権威が国家の核として存続してきたから、実際の政治権力も、そこから支配の正統性根拠を得て、政治を行っていくことができた。それは、歴史的に、古代から現代に至るまでの日本の伝統であった。藤原氏や平氏、鎌倉時代の源氏や北条氏、室町時代の足利氏、江戸時代の徳川氏、明治以降の政府、すべてそうであった。
天皇が国民の意志統合の役割を果たしてきたことは、日本の歴史の中で一貫して変わることがなかった。たとえ、戦国時代のように、政治が乱れ政治権力の所在が分からなくなってしまったときでも、この天皇という政治的中心は壊されなかった。幕末の危機においても、敗戦の危機においても、これは壊されることなく、逆に、天皇が危機克服のために前面に押し出されてきたのである。天皇が日本という共同体の共通意志を代表し、それを統合していたからであろう。
どの国にも、国家の同一性、連続性を保とうとする働きがある。そして、これは、多くの場合、その国の伝統的な生き方、信仰、慣習、知恵、経験、つまり文化によって維持されてきた。日本は、これを、天皇という生きた存在で一貫して表現してきたのである。
御代替わりの年、わが国にとって天皇とは何か、熟考したいものである。
(こばやし・みちのり)