続く医学界の日猶師弟交流
獨協大学教授 佐藤 唯行
秦、志賀、野口らを教導
世界水準の偉業、今後も期待
明治日本を代表する医学者の中にはユダヤの恩師に育てられたことで世界水準の偉業を成し遂げた者が少なくない。梅毒の特効薬サルバルサンの開発に成功したパウル・エールリッヒと秦(はた)佐八郎(さはちろう)の師弟コンビはその筆頭だ。エールリッヒにはもう一人の日本人弟子がいた。赤痢菌発見で名高い志賀潔だ。この師弟コンビは感染症治療のための化学療法剤を世界で初めて共同開発したのだ。3組目は野口英世と恩師サイモン・フレクスナーの師弟だ。野口が「世界三大細菌学者」の一人と称(たた)えられるまでに出世できたのも、ひとえにフレクスナーのおかげだったからである。
秦、志賀、野口の才能を見いだし、薫陶を与えた恩師がいずれもユダヤ人であった事実は決して偶然ではない。医師という職業は中世ヨーロッパの昔からユダヤ人が一大勢力を形成する「ユダヤ的職業」であったからだ。その理由を分かりやすく説明するために例え話を一つ紹介してみよう。
常日頃、ユダヤ人を罵(ののし)ってきたことで悪評高い男が重い病にかかったとする。その病に対し優れた治療実績を誇る医師がユダヤ人だったとしたら、わが身を救いたい男は前非を改め医師に許しを乞うはずである。優れた医療技術の持ち主には差別をはね返す力があるという例え話だ。だからこそユダヤ人は医師に憧れ、天職にしようと努力してきたのだ。
その後、近代になるとユダヤ系医学者たちは西洋医学の発展に多大な貢献を果たし、医学の諸分野で指導的立場を占めたのだ。とりわけ19世紀末から20世紀初めにかけて、一流のユダヤ系医学者たちがトップクラスの医学研究所の設立に深く関わり、その発展に尽力した事実は重要だ。世界水準の最新医学を学ぶため諸国から集まった若き俊英たちを選別し、教え導く立場に就いたからだ。上述の3人の日本人もユダヤ系の研究所長の眼鏡にかない、入門を許された者たちであった。
秦と志賀を採用してくれたフランクフルト実験研究所の所長は前述のエールリッヒであった。秦にとり留学先のドイツで2人目の恩師となったアウグスト・ワッセルマンもユダヤ人であった。ワッセルマンはベルリンの皇帝ヴィルヘルム研究所に併設された実験研究所の所長であった。1906年、著名な梅毒検査法「ワッセルマン反応」を開発した彼は、梅毒治療研究に半生を捧(ささ)げた秦にとり、ぜひとも師事せねばならぬ碩学(せきがく)であった。
そして野口をロックフェラー医学研究所に招き入れ、潤沢な研究費と所長に次ぐ役職を与えてくれたのは上述のフレクスナー所長であった。これらユダヤの恩師の下で若き日本人医学者が師弟の契りを結び、居心地良く共同研究に専念できたのには理由がある。
黄色人種への差別意識が根強く、日本人の能力に疑念を抱く者が多かった当時の欧米医学界において、多数派の白人キリスト教徒から同じく白眼視されていたユダヤ系は、日本人への同情と共感を抱くことができる立場にあったからだ。いわば多数派から異人視されていたよそ者同士のマイノリティー連合ということだ。
日猶医学者の師弟交流は続く大正時代においても確認できる。パリのパストゥール研究所のイリヤ・メチニコフとその高弟、山内(やまのうち)保(たもつ)の組み合わせである。山内はインフルエンザを最初に発見した医学者だ。その成果は1919年に論文発表されている。
一方、恩師のメチニコフは現代免疫学の礎を築いた医学界の大御所だ。白血球の食菌現象を発見し、白血球が体内の免疫機能に深く関わっている事実を解明したのだ。この功績により、08年、同じくユダヤ系のエールリッヒと共にノーベル生理・医学賞を共同受賞したのだ。ウクライナ生まれのメチニコフは若くしてオデッサ大学医学部に教職を得た逸材だった。しかし1880年代、ウクライナで吹き荒れたユダヤ人迫害により辞職を余儀なくされたのだ。
その後、反ユダヤ主義が希薄な南イタリアに亡命。同地のメッシナ大学に職を得たのだ。この地でメチニコフは悪性細菌が体内に侵入すると体内の細胞がこれを飲み込み、人体を守るという食細胞理論を完成したのだ。これを高く評価したのが仏医学界の重鎮ルイ・パストゥールであった。自身の名を冠したパストゥール研究所の副所長に招いた後、後継者に指名したのだ。メチニコフの生涯を辿(たど)れば、彼が自己の才能を拠(よ)り所として、迫害に屈せず、各地を渡り歩きながら偉業を成し遂げてきた亡命ユダヤ系学者の典型であるということが分かる。
その後、日猶医学者の師弟交流は昭和・平成の世へと途切れることなく継続した。最新の事例では2015年ノーベル生理・医学賞を受賞した北里研究所元所長の大村智がユダヤの恩師マックス・ティシュラーとコンラッド・ブロックから受けた学恩の数々が挙げられよう。2人の恩師に支えられながら大村は熱帯地域で猛威を振るった河川盲目症の特効薬、イベルメクチンの開発に成功したのであった。現在進行中の日猶師弟交流は将来的にも新たな学問的偉業を生み出すはずである。(敬称略)
(さとう・ただゆき)











