東アジアの平和と繁栄に貢献

浅野 和生平成国際大学教授 浅野 和生

「明治150年」節目の日本
戦後70年の「安倍談話」を読む

 今年、2018年は「明治150年」の節目の年である。1868年10月23日に慶應を改元して明治と改めたので、明治150年の日は、2018年10月23日であろう。そしてこの「明治150年」を、東アジアの平和と繁栄に貢献する、自由と民主と法治の日本で迎えたことを慶(よろこ)びたい。

 ところで、この150年間を二分するとしたら、その分け目は昭和20(1945)年8月15日ではないか。明治元年からそこまで満77年余り、それから以後が73年ほどである。明治、大正、昭和、平成という近代日本150年の折り返し点が、敗戦の日ということになるだろう。

 さて、2015年8月14日、敗戦から70年の節目に当たり、安倍晋三首相が発表したのがいわゆる「戦後70年談話」であった。

 実は、首相が〇〇年談話を発表した最初は、村山富市首相の「戦後50年談話」である。社会党の村山富市氏が、自民党とさきがけからも支援を受けて政権準備を進めていた1994年6月21日に「政権構想」を発表し、「終戦五十年の一九九五年に過去の戦争を反省し、未来の平和への決意を表明する国会決議を採択」することを明らかにした。つまり、当初は「首相談話」ではなく、国民の総意としての「国会決議」をもって、社会党の日本侵略史観を日本国民の歴史認識に仕立て上げて内外に宣言しようとしていたのである。

 そして95年6月9日、戦後50年に当たり、「世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、わが国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」という決議文を、衆議院で採択した。しかしこの採決は、与党の自民党50人、社会党14人、さきがけ4人を含む250人が欠席して賛成わずか230人であった上に、与党の分裂状況を顕在化させるものとなった。欠席した自民党議員の中には、若き日の安倍晋三氏も含まれている。

 これでは参議院の決議は無理である。こうして、「政権構想」の「国会決議」に代えて、閣議決定を経た「首相談話」を発出することにしたのである。

 村山首相の「戦後50年談話」は、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たことに対して、「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」した。キーワードは「侵略」「植民地」「反省」と「心からのお詫(わ)び」である。

 その後、戦後60年の小泉純一郎首相談話も、「侵略」「植民地」「反省」と「心からのお詫び」というキーワードで村山談話に追随した。だから安倍首相が戦後70年談話の発表を準備した時、野党とマスコミは四つのキーワードに固執した。しかし、安倍首相は、全く新しい首相談話で過去の首相談話を上書きしようとした。

 安倍談話は、冒頭から全文の4分の1ほどを使って、壮大な「歴史認識」を提示し、単純な「侵略」「植民地」論に代えた。まず、西欧列強の植民地支配がアジアに及ぼうとする19世紀に、日本が独立を維持して立憲政治を打ち立てたことに触れ、その姿が、アジアやアフリカの人々を勇気づけたと述べている。その後、第1次世界大戦を経て、世界には民族自決の動きが広がり、国際連盟が創設され、不戦条約が締結されて、新たな国際社会の潮流が生まれた。日本もその流れに沿っていたのであり、ここまでは良かった。

 しかし、世界恐慌に端を発する世界のブロック経済化のなかで、日本に、力の行使によって現状を打破しようとする動きが出てきたとき、当時の日本の政治体制はこれを防げなかった。こうして世界の大勢を見失い、日本は、「新しい国際秩序」に対する「挑戦者」となって、「戦争への道を進んで行った」のである。

 安倍談話は、ここで日本がアジア各地で行った行為を率直に認めた上で、「国内外に斃(たお)れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫(えいごう)の、哀悼の誠を捧(ささ)げます」と「反省」と「お詫び」を超えた表現を用いた。一方、日本が損害や苦痛を与えた人々の「寛容の心」によって、戦後、国際社会に復帰できたことに対して感謝の気持ちを表した。

 その上で安倍首相は、「戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません」と述べ、70年を時代の区切りにすることを宣言した。

 そして安倍首相は、日本が、自由、民主主義、人権といった基本的価値観を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、「世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献」することを宣言して談話の結びとした。これは「戦後70年」ではなく、「明治150年」の総括とも言えよう。

 実際、安倍政権は、「積極的平和主義」の実践のために、すでに集団的自衛権の限定的容認を行い、防衛法制を整備して、東アジアの安全保障に貢献しようとしている。喜ばしいことである。

(あさの・かずお)