独に新たな反ユダヤ主義出現
主役はイスラムの若者
移民の親が受けた教育が影響
七十数年前、ユダヤ人口の大半がナチス政権により根絶されたドイツ。今や十数万人規模のユダヤ人社会が復活を遂げているのだ。「ナチスの過去」故にユダヤ人に贖罪(しょくざい)意識を抱き続けるドイツ政府。その優遇策と保護の下、ユダヤ教会堂やユダヤ文化施設が再建され、イスラエルから若手の芸術家、学者が移り住むほどになった。こうしたユダヤ文化復興の動きは「ドイツにおけるユダヤ・ルネサンス」と呼ばれ、注目されている。
しかし今春、繁栄を揺るがす一連の反ユダヤ主義事件が発生した。一つ目は4月18日のベルリンの事件だ。被害者はイスラエル出身の若者で、繁華街を歩行中、突然襲われたのだ。犯人は3年前、難民として入国を許されたシリア出身、19歳のパレスチナ人だった。アラビア語で「このユダヤ人め」とののしりながら、皮のベルトで被害者を打ち据えたのだ。被害者は今日のドイツでキッパ(ユダヤ帽)をかぶって街を歩くことがどれほど危険かという友人の忠告を無視した結果、災難に見舞われてしまったのだ。
翌週、事件に抗議する数百人のユダヤ人がベルリン中心部に集結。キッパを頭にかぶりデモ行進を行った。参加者たちは連帯感の高揚を味わったが、表情はさえなかった。今のドイツで「ユダヤ人であること」を人前で示せば身の危険を招きかねないという事実が18日の事件で証明されてしまったからだ。
二つ目は独ヒップホップ界に根強い反ユダヤ的体質を示す事件だった。反ユダヤの歌詞を歌う2人組のヒップホップ歌手が4月12日、グラミー賞のドイツ版とも言えるエコー音楽賞を授与されたことでそれは発覚した。審査員団は売上高、人気度に基づき単純に選考したそうだ。
2人組の歌詞はドイツの国内法により刑事罰の対象となる「ホロコーストを否定する内容」ではなかったが、明らかにその犠牲者を侮辱する趣旨のものだった。非難が殺到したため審査員団は「アーティストによる表現の自由を尊重する」という当初の見解の撤回を余儀なくされた。2人組は共にイスラム教徒の若者で、一人は北アフリカ出身のアラブ系移民であった。
三つ目は学校内でのユダヤ人生徒への虐待だ。今春、既に数件が確認されている。生徒の大半がイスラム教徒の移民家庭出身者で占められている学校で発生しているのが特徴だ。またいじめっ子たちは親から偏見を植え付けられている点も報告されている。
以上の三つの事例からドイツにおける最新の反ユダヤ主義の特色が浮かび上がってきた。
子供の頃よりホロコーストへの加担責任と向き合うように教育されてきたドイツ生まれのドイツ人は既に反ユダヤ主義の主役ではないという点だ。新たな主役は中東・北アフリカのイスラム諸国出身の新来の移民・難民の子供・若者であるという点だ。最近数年でドイツに流入した移民・難民は実に140万人。
大半はシリア難民を中心とするイスラム教徒で、本国在住時の学校教育を通じてユダヤ人への憎しみとイスラエル滅亡を求めることを教えられてきた人々だ。彼らの母国とは政府自体が反ユダヤ・イスラエルのプロパガンダによって国民を洗脳し続けてきた国々なのだ。そのような国々からやって来た子供たちに対し、学校教育を通じて反ユダヤ主義を封じ込めようとするドイツ教育界の取り組みは失敗に終わったと言えよう。ドイツ語を話せぬ親たちへの働き掛けを怠ってきたからだ。
親たちはナチズムの誤りやホロコーストについてほとんど知らず、母国で受けた反ユダヤ・イスラエル教育を家庭の中で子供たちに植え付ける役割を担っているのだ。反ユダヤ主義を根絶するためにドイツ政府が払ってきた長年の努力はこうした構図の出現によって無力化されようとしているのだ。それはネオナチに代表される伝統的反ユダヤ主義勢力に代わる新世代型反ユダヤ主義者の台頭と言えよう。
次にドイツの現状を相対化するために欧州における反ユダヤ主義の主戦場、フランスと比べてみよう。ドイツでは街頭での暴行、学校内のいじめにとどまっているが、フランスでは凶悪な殺人事件すら珍しくない。今春もパリ在住の老婦人がイスラム教徒の若者に11カ所も刺され、殺されている。犯人は刺殺の間、アラビア語で「神は偉大なり」と叫び続けたそうだ。その後、犯人は遺体を燃やしたが、これは自身の行為を「アウシュビッツでのユダヤ人焼却」と重ね合わせている節がある。犯人は被害者と顔見知りで、彼女が「アウシュビッツからの生還者」であったことを知っていたからだ。
ユダヤ人老婦人を狙った同種のヘイトクライムは昨年にもパリで発生している。この時は殴打された揚げ句、アパートの3階から突き落とされ、命を奪われている。こうした災難を避けるため、イスラム教徒移民がほとんど住まない住宅地への引っ越しも増えている。
ドイツと比べ、イスラム教徒移民の歴史が長く、また人数も多いため、相対的にエスカレートしているのであろう。この種の凶悪な反ユダヤ主義事件が早晩ドイツにおいても発生するやもしれぬことが危惧されるのである。
(さとう・ただゆき)