対中地政学を変動させるAUKUS
アメリカン・エンタープライズ研究所客員研究員 加瀬 みき
経済より安保を選んだ豪
米との総合的関係強化を優先
バイデン米政権の外交安全保障政策、そして内政すらも中国政策と言える。米英豪新安全保障協力体制は、その中で付された大きな一手であり、アメリカのインド太平洋地域へのコミットメントの深さも物語っている。
最高機密の技術を提供
バイデン大統領は今月15日、新米英豪安保協力の枠組み(AUKUS=オーカス)を発表した。米英豪はファイブ・アイズというカナダとニュージーランドも加わった5カ国間の諜報(ちょうほう)協定で固く結ばれているが、AUKUSではさらに人工知能(AI)をはじめとした最先端テクノロジー、サイバーやサプライチェーンといった分野での連携を強化することを目的に挙げている。
また米英がオーストラリアに原子力潜水艦建造という最高軍事機密の技術を提供するが、これは1958年の米英相互防衛協定で両国が核兵器開発協力に合意して以来初めてのことである。原子力潜水艦はディーゼル発動艦より長距離を、それも浮上する必要なく航行することができ、ステルス性が高まり、また長期間燃料補給のために寄港する必要もない。より大きな重量のミサイルを搭載することもできるという特長もある。
大西洋には対ソ防衛組織として設立された北大西洋条約機構(NATO)があり、今でもロシアの軍事攻勢やサイバー攻撃と戦うだけでなく、アフガニスタンなどNATO域外の闘いにも貢献している。しかしアジア地域には同様の枠組みは存在しない。中国が経済でも軍事力でも大国となり、さらに脅威となっても、アジア諸国は経済依存の深まりゆえに中国と正面切って対峙(たいじ)することが非常に難しい状況にある。
オーストラリアもまさにそんな一国であった。2007年には中国語が堪能なケビン・ラッド氏が首相に就任し、親中政策を推し進めた。しかし、留学生をはじめとした中国人の増加、一帯一路構想(BRI)下の巨額の投資が進むにつれ、オーストラリアの経済や社会への過剰な影響力、そして投資効果に見合わない負債の増加が問題視されるようになった。中国在住のオーストラリア人への不当な扱いも中国への不信感を増した。
一昨年にはオーストラリア政府は議会やメディアへの大規模なハッキングの犯人を中国と発表し、アメリカに次いで華為技術(ファーウェイ)の最新通信機器網を安全保障上の脅威とみなし、高速大容量規格「5G」ネットワークへの参入を禁止した。また複数の州政府が中国と結んだBRI協力協定を連邦政府が破棄した。さらに中国による香港の民主体制弾圧政策を厳しく批判、そして新型コロナウイルス発生起源の解明を強く迫った。
こうしたオーストラリアの厳しい対中姿勢に対し、中国は報復に出た。オーストラリアの対中貿易依存度は非常に高く、輸出の3割強を占めるが、中国はオーストラリア産のワイン、石炭、大麦、牛肉などの輸入を制限した。中国の産業に欠かせない鉄鉱石があるため、19年に比べ20年の総貿易額は2%余りしか減少していない。しかし、例えば石炭の対中輸出は第4四半期比で80%以上減少、鉄鉱石を除くと貿易額は4割も減っている。
オーストラリアは経済と安全保障の狭間(はざま)で、アメリカとの総合的な関係強化を優先する英断を下した。これはアメリカの対中政策に強い追い風となる。また欧州連合(EU)離脱後「グローバルな英国」を打ち出したものの、実態が伴わなかった英国にとっても大きな意義を持つ。
今回の合意に問題がないわけではない。オーストラリアはAUKUSを締結することでフランスと結んでいたディーゼル発動の潜水艦建造合意を破棄することになった。賠償金は高額で、関係を強化してきたオーストラリア、そして同盟国アメリカに裏切られたというフランスの怒りや失望はもっともであり、米仏関係は急激に悪化した。
中国の強硬策は逆効果
しかし、AUKUSはバイデン政権の絶妙な一撃である。アメリカのアジア太平洋地域、そして同盟国へのコミットメントが長期的かつ真剣であることの証しとなるだけでない。中国に経済力や軍事力を盾に、他国を踏みにじり国際秩序を無視して自国の利益のみを追求する政策が、アメリカのリーダーシップを後押しし、同盟国との結束を固めることを知らしめることになった。
(かせ・みき)