コロナワクチンをめぐる法的問題

大月短大名誉教授 小山 常実

「十分な説明と同意」不足
生命・身体の自己決定権を守ろう

小山 常実

大月短大名誉教授 小山 常実

 4月末、新型コロナワクチンの接種券が届き、いよいよ接種するか否か決断しなくてはならなくなった。いろいろ悩んだが、「ワクチンで死ぬよりコロナで死ぬ方を選ぶ」「生き方も死に方も自分が決めたい」と考えた。法的に言えば、生命・身体に関わる自己決定権の主張である。

まだ治験中のワクチン

 「日本国憲法」13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と規定している。この13条から自己決定権というものが導き出される。

 特に「その者の人格的生存に不可欠な」事柄に関する自己決定の権利が出てくる。当然、生命・身体のあり方に関しては自己決定権が成立する。

 ワクチン接種は、身体に永続的な障害を負わせる危険性もあり、場合によっては生命を失う危険性さえも伴う行為である。だからこそ、生命・身体に関わる自己決定権の行使として、私はワクチンを打たないことにした。

 生命・身体について自己決定しようと思えば、当然、国民一人一人は、例えば新型コロナに関して十分な情報を得る権利(知る権利)を持つ。それゆえ、インフォームドコンセント(十分な説明と同意)の原則が生まれた。インフォームドコンセントの原則とは具体的にはどういうものであろうか。

 日弁連は、「患者の権利の確立に関する宣言」(1992年11月6日)の中で、「医療において、患者がa自己の病状、b医療行為の目的、方法、危険性、代替的治療法などにつき、c正しい説明を受け理解した上で、d自主的に選択・同意・拒否できるというインフォームドコンセントの原則」と述べている。

 では、新型コロナやワクチンに関して、上記の原則は守られてきたであろうか。

 「a自己の病状」に関しては、毎日のように新型コロナの恐ろしげな病状が喧伝(けんでん)されてきたが、インフルエンザや風邪との比較において、逆にコロナよりはるかに危険な感染症であるジフテリアなどとの比較において伝えられることはなかった。多数の説明がなされたが、その説明は客観的・公正な「c正しい説明」ではなかったのである。

 次に「b医療行為の目的、方法、危険性、代替的治療法」については、そもそも説明自体がなかったか、あってもないに等しかった。何よりも医療行為の一環であるワクチンの「危険性」については説明がなされていない。今回のワクチンが歴史上初の遺伝子組み換えワクチンであり治験中であること(例えばファイザーの場合は2023年5月に治験が終了する)が国民に知らされていない。

 今回のワクチン接種後の死亡者(7月16日現在で751人)に関する情報、重篤な障害に関する情報もほとんど出てこない。その他、知らされるべきことが全く知らされないままである。

 また、「代替的治療法」であるイベルメクチンなどの治療薬についての情報が、いつのまにか隠されてしまった。外国では日本発のイベルメクチンが治療薬として使われ重症化を防いできたのに、この薬に関する議論も封じられてしまった。

 そのうえ、現在の雰囲気は、「d自主的に選択・同意・拒否できる」状況どころか、強制的にワクチンを打たせようとしている状況である。ワクチンを拒否すれば失職する可能性さえもあるからだ。

 結局、インフォームドコンセントの原則は全く守られておらず、国民の生命・身体に関わる知る権利も、自己決定権も侵害され続けているのである。

飲食店への入店制限も

 しかも、これからはワクチンパスポートが導入され、ワクチン注射をしていない者は、公衆が集まる映画館やデパートなどへの出入りや、果ては飲食店への入店も断られるようになるかもしれない。ここまでいけば、生存権の侵害となろう。

(こやま・つねみ)