実戦的訓練強調した習軍令1号
拓殖大学名誉教授 茅原 郁生
米の対中圧力強化に焦り
軍引き締め、強い指導者像誇示
中国の習近平中央軍事委員会主席は、年初に「軍は実戦的訓練を急げ」と開戦に備えるような、2021年の軍命令第1号(軍令1号)を発した。
これまで中国は習政権下で「中国の夢」を追求し、国際秩序に挑戦しながら海洋進出を進めてきた。それはトランプ米大統領時代の厳しい米中争覇の鬩(せめ)ぎ合いにつながった。今日「実戦的軍事訓練」を推奨してきたのは何故(なぜ)か.バイデン米新大統領への牽制(けんせい)のサインと受け止められるが、そこにはさらに中国内向けの問題として軍の引き締め、および共産党や国内世論に対する強い指導者像誇示の含意と看過できない要因もある。
軍事科学技術も強化へ
習主席は年頭に当たり「軍は常に戦いに備え、戦いに勝利できるよう能力を高めよ」と解放軍に檄(げき)を飛ばした。この軍令1号では、これまで習時代になって提唱された「中国の特色ある社会主義思想」を導きとするよう習思想の貫徹が軍事力強化でも強調されていた。具体的には「戦うことに焦点を絞り、新型訓練体系を構築し、訓練の実戦化レベルを高めて戦いに勝つ能力を全面的に高めなければならない」と示されている。これは1月26日の中央軍委会議で「訓練の実戦化能力の向上」が強調された習講話とも軌を一にしている。そこでは軍事訓練に対する「共産党への服従」を筆頭に「軍日常の中心は軍事訓練」「厳格な訓練責任制度の確立」などが提唱されており、トランプ大統領時代末期の対中強圧への中国の焦りが主であろうが、その外に党軍関係への不満さえ感じさせられる。
また軍令1号には軍事科学技術の強化を「核心的戦闘力」として、兵器の近代化、軍事ハイテク知識の学習、新装備、新戦力の訓練と作戦への融合が初めて取り上げられていたことが注目される。従来の強軍思想など精神論に加えて新兵器などハード面の戦力強化も重視されており、シミュレーション化、ネットワーク化などの強調が注目された。
また軍事訓練の実戦化の推奨は昨20年に南シナ海や台湾海峡で反復された米中間の軍事的な威嚇合戦の延長でもあって、バイデン大統領就任の出鼻を挫(くじ)く狙いが透けて見える。実際、今年になって中国戦略爆撃機の編隊による台湾海峡での異常接近などが反復されていた。
同時に軍令1号発出には、国内向けにも軍内引き締めや国民向けの共産党の威令回復への焦りや苛(いら)立ちも感じられ、看過できない。
既報のように昨20年は習主席に権力を集中する「習一強化」とその政権の長期安定化を強引に進めてきたものの、強国化の重要側面である経済の不振は如何(いかん)ともし難く、それを補うように本年初に発動された軍の実戦化・最強化はせめて軍事側面だけでも最強国家に近づけるという国内事情からの狙いも見えてくる。実際、中国内要因に関連して二つのことが注目されてくる。
その一つは習主席が解放軍の実戦力や即応態勢に満足していないのではないかとの疑念と注目点である。先の軍事改革以来常に枕詞(まくらことば)のように「軍は党の言うことを聞け」との戒めが反復されており、実態は「党の言うことを聞かない軍」がいる印象に繋(つな)がる。また軍事改革に当たっても「華美主義、官僚主義」などの表現で戒めが反復されており、革命戦争が終わって1世紀近くを経る中で、党から見れば解放軍の党軍、革命軍への引き締めの必要性を強く感じているのではないか。
もう一つの注目点は、スマホ人口が10億人を超える今日の中国にあって共産党独裁統治の難しさが急増しているのではないか。6億個と世界最大規模の監視カメラ網(国民2人強に1個)を張り巡らし、国民の監視体制が整っている中国ではあるが、デジタル化の進展は、独裁統治に便宜を与えると同時に情報が上からの統制やコントロールを効かなくし、世界の情報が国家の統制を超えて瞬時に拡大・共有されることになる。
米中紛争化のリスクも
中国の軍令1号の軍事訓練の実戦化が海洋進出や領域拡大の挑戦に結び付き、米中軍事バランスを刺激することになれば、米中争覇の紛争化危機を高めるだけでなく、バイデン大統領によって連携を強めた日米豪印共同のインド太平洋戦略との緊張激化にもつながろう。その場合、中国の実戦力強化は大陸国家の海洋進出が危機を拡大するという地政学的なリスクを増幅しかねない。年初からの中国の軍令1号はあくまで中国の国内事情による範囲に収めたいものである。