FOIPと価値観外交
東洋大学教授 西川 佳秀
腰の引けた日本政府
積極的に発信し具体策示せ
2月18日、日米豪印の4カ国外相会合が開かれ、「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)構想の推進で一致、アメリカは4カ国の首脳会談初開催にも意欲的といわれる。安倍前首相が提唱したFOIPの構想は、いまや米豪印だけでなく英国や仏独も支持を表明し、自由民主世界共通の戦略目標へと発展しつつある。もっとも、その実態はといえば、未(いま)だスローガンや掛け声の域に留(とど)まり、戦略目標達成に至るプロセスや具体的な政策の中身に乏しいことも事実だ。
しかるに「言霊(ことだま)の国」であるわが国は、FOIPと唱えればそれだけで自由民主の世界が実現するかの錯覚や、米のみならず豪印英なども日本の同盟国となり、ともに中国の脅威に対処してくれるとの安易で一方的な思いに浸っているのではないか。筆者は、この点を深く危惧するものである。
香港弾圧など声上げず
FOIPは、法の秩序や海洋の自由、民主主義の定着等普遍的な価値観の実現を目指す外交構想だ。外務省は「日本がこのFOIPを主導する」(外交青書)と胸を張るが、それならば、普遍的な価値観を断固守り抜くため積極的に発信し、具体的な政策を打ち出すことによってその覚悟を示さねばなるまい。提唱した日本が自ら率先して、人類普遍の価値観擁護のために行動を起こしてこそFOIPや日本に対する世界の評価と支持が集まり、構想も初めて前に進むというものだ。
しかし、わが国では、普遍的な価値観の擁護を目指すいわゆる価値観外交の取り組みはまだまだ弱い。諸外国で起きている人権侵害や民主化弾圧に対する一般市民の問題意識や関心も決して高くない。香港の一国二制度を踏みにじる中国共産党の姿勢に世界中が批判の声をあげるなか、日本からの発信は小さく、ウイグル問題では、ジェノサイドと認めることを避けようとするなど腰の引けた外交が目に付く。
今月15日、カナダ政府は「国対国の関係に絡めた恣意(しい)的な拘束に反対する宣言」を公表した。自国民が不当に中国官憲に拘束されたことへの強い抗議の現れであることは明らかだ。翻って、スパイ容疑で逮捕された日本人の解放に向けたわが政府の取り組みの様は見えてこない。
そもそも日本は、冷戦に勝利した戦勝国である。それにもかかわらず、未だに先の大戦に敗れた国、他国を侵略し平和を乱した国などという負い目意識から抜け切れないでいる。その理由は、日本が20世紀後半、アメリカはじめ西側諸国と連携し、民主主義や自由主義擁護のために共産勢力と戦ったことへの国家・国民の自覚が乏しいからだ。
そうしたなか、外国での重大な人権侵害に制裁を科す議員立法の制定や、中国少数民族の人権保護を目指し与野党の有志が議員連盟を発足させるなど、ようやく価値観外交に本腰を入れる動きも出始めてきた。一歩前進と評価したい。
いまや世界は再び、開放か閉鎖か、自由か抑圧かの戦いに入っている。アジアで最も成熟した民主国家を自任するのであれば、日本は自由や民主主義を求めて戦う人々に対する共感と熱い眼差し、そして連帯の志を抱き、中国の膨張と侵略、圧政を阻止し、アジアの自由と民主化、法の秩序実現に指導力を発揮すべきだ。政府の取り組みにとどまらず、少数民族の自決と人権救済をめざす市民運動が盛り上がることで、それはより一層強力なパワーとなろう。
地道な取り組みが必要
価値観外交は一見華やかではあるが、目的実現には長期にわたる地道な取り組みが求められる。その覚悟と忍耐、さらに地政学的な視点も忘れてはならない。現下のミャンマー問題でまさにそれが問われている。外交は、悲劇のヒロインを助け,悪者を成敗する安っぽい活劇とは違う。国軍=悪というステレオタイプに陥り、彼らの行動をただ非難するばかりでは、この国を中国の側に追いやり、独裁抑圧国家を利する危険が伴う。
日本がミャンマーで目指すべきは、育ち始めている国民民主連盟(NLD)の若き指導者を支援し、ミャンマー民主勢力の世代交代とその成長を促すことだ。新鮮な感性を持つこの国の新しい力との連帯を深め、ミャンマーが近隣大国の野心や圧力に左右されることなく、真の自立と民主化を達成できるような関与の政策が日本に求められている。
(にしかわ・よしみつ)