「超高齢長寿社会」とどう向き合う
メンタルヘルス・カウンセラー 根本 和雄
強い意志持ち柔軟に処世
『呻吟語』が語る老いの豊かさ
我が国の65歳以上の高齢者人口は3617万人、総人口に占める割合は28・7%で過去最高を更新し、しかも100歳以上の高齢者は8万450人で、これも過去最多を記録している。従って紛れも無く「超高齢長寿社会」の到来である(9月21日・総務省調べ)。
このような状況において、人々は常に「老い」と「病」さらには「死」と向き合いながら、残されたこれからの自分の人生をどう全うするかという極めて重要な問題に直面しているのではなかろうか。
呂新吾の良心の呻き声
“老いるは嘆くに足らず、嘆くべきは是(こ)れ老いて虚(むな)しく生くるなり”(修身篇)。すなわち「老年は嘆くことはない。嘆くべきは老いて無意味に生きることである」と。
実はこの言葉は、16世紀末の明代に、自分の責務を全うし、自己に厳しく生き抜いた呂坤(りょこん)(1536~1618年)、雅号は新吾(しんご)で、この呂新吾が言行録『呻吟語(しんぎんご)』で述べている。
これは同時代の洪自誠(こうじせい)の『菜根(さいこん)譚(たん)』と双璧(そうへき)する書で、人生に対する鋭い省察を呂新吾が30年に及ぶ良心の呻(うめ)きから得た箴言(しんげん)の書である。「呻吟」とは、病人の呻き声であり、それは取りも直さず呂新吾自身の良心の呻き声そのものでもある。従って、今この言行録を味わうことによって、どのように「老いの人生」を歩むべきかについて、実に多くの示唆を与えてくれると思う。
“人と為(な)り多病なるは、未(いま)だ羞(は)ずるに足らず。一生病無きは、是れ吾(わ)が憂いなり”。すなわち「生まれながらに病気が多いのは、恥ずかしいことではない。むしろ一生、病気をしないで病気の苦しみも知らないことが人間としては不幸である」と、明の中期の思想家・陳白沙(ちんはくさ)が語っている(『菜根譚』前・77)。
確かに、“病気は人に自分の弱いことを気づかせるし、他人に対する思いやりを養わせてくれる。そしてことに著しいのは、病気が人に自らを反省させてくれることである”と山室軍平は語っている(「病床の慰安」1916年)。その意味では、「人は老いて人を知り、病んで人生を知る」のであろうか。
また、“死するは悲しむに足らず、悲しむべきは、是れ死して而(しか)も聞こゆるなきなり”(修身篇)。つまり「死ぬことは悲しむには及ばない、悲しむべきは、死んで世の人に忘れ去られることである」と。
確かに、“人生の終わりに残るものは、自分が集めたものではなく、自分が与えたものである”というジュラール・シャンドリの言葉を想起せずにはいられない思いである。
さて、「老いの豊かさ」について、呂新吾は、こう述べている。
“心平らかに気和らぎ、而して強毅(きょうき)にして奪うべからざるの力あり。公(こう)を乗(と)り正を持し、而して円通にして拘すべからざるの権あれば、以(もっ)て人品を語るべし”(品藻篇)。すなわち「平静で穏やかな態度の中にも強い意志を秘め、どっしりした力にあふれている。私利に走らず正しい道を歩みながら、柔軟な処世で臨機応変に対処する。これが品格である」と。
言うなれば、穏やかな中にも強い意志を持ち、物事に臨機応変に対処する知恵を身につけることこそ、真に老いの豊かさではないかと『呻吟語』は語っている。これこそが、呂新吾の良心の呻き声ではなかろうか。
学問・修養に励んだ晩年
なぜならば、呂新吾の『呻吟語』は自らの人生、その生き方を呻吟しながら病んで書いて、書いて病んだ30年に及ぶ記録である。
36歳で科挙(国家公務員)の試験に合格し、県令(県知事)に任命され、政治の混乱を憂えて、国政の改革案を奉上するも、これが呂新吾を非難・中傷にさらす結果となり、何の弁解もせず病気を理由に職を辞したのが62歳の時である。以来、82歳で亡くなるまで、実に質素な生活を送りながら、日々学問と修養に勤(いそ)しんだのである。今、呂新吾の『呻吟語』を読むとき、自らを見詰め直し深く反省し、残された老いの人生を生きる良薬としたいと思う。
おわりに、呂新吾はこう語り掛けている。
“饑寒(きかん)痛癢(つうよう)はこれ我独り覚(さと)る。衰老病死はこれ我独り当たる”(養生篇)。「飢え、寒さ、痛み、癢(かゆ)みは自分にしか解(わか)らない。衰え、老い、病、死は自分だけの問題である」と。
(ねもと・かずお)