尺八 民族違えば音色も変わる
海上保安大学校名誉教授 日當 博喜氏に聞く
広島県呉市の海上保安大学校で長年、教鞭(きょうべん)を執ってきた日當博喜氏は巡視船の汽笛の音だけでなく、もう一つの音と人生を共にしてきた。その音とは、尺八の音(ね)。幼少時から父親が吹く尺八を聞き、自らも尺八を吹き続け、日本尺八連盟大師範竹帥となり竹号は「鶴山」と称する。海上保安大学校名誉教授の日當氏に「尺八の歴史」を聞いた。
(聞き手=池永達夫)
日本では精神性求める
お経だった虚無僧の演奏
尺八の素材は竹だが、竹の種類によっても音色は違うものなのか。
一番使われるのは真竹だ。他の竹はあまり知らない。竹以外の素材で作ったりもするが、やはり竹がいい。
何が違う。
成長したときの大きさとか、関係があると思う。
あまり太くても、使いにくいし、細いと音質の幅が限られてくる。
尺八は大陸伝来のものだが、中国のは細長いものを使って軽い。指穴は表側に4個、裏側に1個あり、これだけの穴で2オクターブ半の音域すべてを表現できる。
三国志で有名な長江での赤壁の戦いを回顧した「赤壁の賦」は蘇東坡(そとうば)の代表作の詩だが、舟で遊覧した際に聞こえてきたという笛の音が尺八の元と言われる細長い笛のもの。女性が咽(むせ)び泣くようなか細く糸のように切れ目のない音色だったらしい。
長江が累々(るいるい)たる屍(しかばね)を流す光景を彷彿(ほうふつ)とさせるような、泣くが如(ごと)く、恨むが如くといった形容詞があるほどだ。あの楽器なら、そうなのかなと思うような音だ。
それが韓国にくると、恨の音色に変わる。韓国には、なかなか主権が持てない歴史があったから、そうした音色になったのだろう。
日本はまた違う音色となり、恨ではなく素朴で繊細なものだ。
歴史が違う民族は、民族それぞれに好む音色がある。
なお、尺八の仲間として中南米のケーナがある。「コンドルは飛んでいく」を演奏するとき、使われる縦笛だ。尺八のように太くなく細長いが、あれも構造的には一緒だ。
中南米の歴史も悲しい歴史があり、哀愁のこもったケーナの音には人の琴線に触れるものがある。
尺八の由来は。
尺八は奈良時代、雅楽と一緒に入ってきた。雅楽というのは、他の奏者と和をもってといったあうんの世界だ。
雅楽の中でも笙(しょう)の音程はいい加減だ。
パイプオルガンみたいに長さの違う筒を束ねている笙は、温度の影響をものすごく受けるからだ。
だから、いつも回しながら炙(あぶ)り、均等な温度になるようにしながら準備する。
それで自分の出番がきたら周りと調和するように吹くのだが、名手でもばらつきがある。だがそれがいい。
尺八は調和というより荒吹き、首振りなどいろんな技ができるのが面白く自己主張できてしまう個性が強い楽器だ。それでは仲間として収まり難く、雅楽の一員から外れてしまったのではと思う。
雅楽の元は残念ながら、すべて中国からだ。
ただ日本人は、そのままではなく、いろいろ工夫する。そこがすごいところだ。
何より尺八に限らず、何でも精神性を求める。
尺八でも尺八道になっている。
虚無僧の尺八は、あれがお経を上げることだった。吹禅といって、それが修行でもあった。
イチローに言わせたら野球も野球道となるが、そういう日本の民族の精神構造がある。
尺八が日本で広がったのは、いつ頃から。
やはり、江戸時代からだろう。当時、尺八は虚無僧という資格がないと吹けず、庶民は吹けなかった。でも、やるなと言われればやりたくなるものだ。それで隠れてやる。最初は武士のたしなみとしてで、庶民はまだそれほど楽しんだわけではなかった。
一番、尺八が流行(はや)った時は。
昭和の高度成長期だ。
新しいジャンルを尺八で築いたというのと、名手がいたというのが大きかったのかもしれない。
江戸時代は楽譜がない状態つまり口伝でやってきたが、明治になって西洋音楽が入ったことで、音楽の譜面にヒントを得て尺八の演奏家が、尺八演奏用の楽譜を考案した。
西洋音楽では横書きだが、縦の楽譜だ。
それまでは、小節の区切りもなく、吹く長さもいい加減なところがあった。
楽譜が出来たことで広く普及するようになった。その効果は大きかった。
一番、吹かれる曲は。
人にもよるし流派にもよる。
ジャズっぽいのを吹く人もいれば、現代的な音楽性の高い曲とか、合奏曲、ポップスもある。
精神統一の効果みたいなものはあるのか。
ある。
そもそも尺八は、浮足立つような音楽ではない。俗世間の栄耀栄華ではなく、むしろ内的な世界を広げ、心のひだに染み込んでいくような音楽だ。