新型ウイルス禍と生物戦

元統幕議長 杉山 蕃

日本を囲む生物兵器大国
病院船など大規模な備え必要

杉山 蕃

元統幕議長 杉山 蕃

 世界的な新型コロナウイルス感染症の拡大により、各国はその対応に難渋を極めている。感染拡大防止のため、産業活動の停滞、株価暴落に伴う金融恐慌はもとより、社会活動全般の縮小停滞は、その規模を厳しくせざるを得ない状態である。世界は、しばらくこの影響、後遺症に苦戦することになると考えられる。特に我が国は、東京五輪の約1年の延期が決まり、これに伴う諸般の影響、予算の膨張はじめ、他競技・イベントへの影響等測り知れない負担を背負い、予断を許さぬ日々が続く。

 このような状況の中で、新型ウイルス発生源と見られる中国(湖北省武漢)が「新型ウイルスは米軍が持ち込んだ可能性がある」と公人(副報道局長)が見解を述べていることを筆者は憂慮している。「米軍」の用語は米国自体の行動を意味し、最も避けるべき大量破壊兵器「生物兵器」使用のトリガーとなりかねない発言であるからである。

古代ギリシャでも使用

 ここで生物兵器について触れておく。軍事用語にCBR戦といわれるカテゴリーがある。一般にはABC、あるいはNBCともいわれる大量破壊兵器戦のことで、放射能・生物・化学兵器を用いる戦争を指す。それぞれに歴史的な経緯を持つ。放射能は核兵器そのものであり、化学兵器は毒ガスに代表される化学物質による攻撃でそれぞれある程度知られた存在と言える。生物兵器はウイルス・病原菌を利用し相手の作戦能力を阻害するものであるが、その歴史は古い。古代ギリシャでの敵水源地への毒物汚染をはじめとし、蜂・サソリ・ペスト・天然痘等が何度も使われた記録がある。

 最近では、ベトナム戦争で米国が、メコン川流域の北ベトナム進入経路遮断のため「枯葉作戦」を大々的に行ったのが有名である。その後、米国における封書で炭疽(たんそ)菌を送り付けるテロ行為等が発生し、テロリストにとっては格好の手段となっている。

 我が国においても、オウム真理教集団がサリンに先行し、炭疽菌使用を企図し、亀戸異臭事件を起こした事例がある。一般に生物兵器は、核・毒ガスに比し格段に安価な兵器であり、しかも効果が出るまで、ある期間潜伏状態にあることから、使用の事実が分かりにくい特徴があり、禁止条約が発効している現在、非合法組織・テロリストの使用が危惧されている。生物兵器はその非人道性から1925年ジュネーブ条約により、その使用が禁止された。しかし、開発・生産・保有を妨げるものではなく、75年に至って、これらが全て禁止されることとなった。各国の現状は不透明であるが、75年までに生産された大量の備蓄は、ある程度維持されていると見られる上、旧ソ連崩壊時には、大量の生物兵器・資料が流出したとされている。

 条約が発効した後も、各種のトラブルが生起している。ロシアにおける炭疽菌漏洩(ろうえい)による事故、中国の生物兵器原料のイランへの輸出と、これに対する米国の制裁等である。北朝鮮は生物・化学兵器大国といわれ、韓国国防省は、北朝鮮は2500から3000㌧の生物・化学兵器を保有している可能性を指摘し、生物兵器は炭疽菌、天然痘・ペスト等5種類であると推定されている。総じて言えば、我が周辺諸国には世界最大規模の生物兵器保有国が取り囲んでいる状況なのである。今回の米中の舌戦は、このまま収まれば結構であるが、中国側の「抑止理論」で、生物兵器使用の緊張が高まるような事態に広がらないよう自制ある行動が必要である。

台湾などの対応参考に

 感染が拡大し始めたのは、昨年12月末、武漢当局の発表であるが、ありがちな事象として、拡大の烈度が不明なまま約1月を経て、我が国は自衛隊の災害派遣に踏み切り、ダイヤモンド・プリンセス号および帰国者一時宿泊施設での観察・検査・消毒等の対策を行った。約50日間の派遣活動により、これら施設の要処置事態は無事終了、延べ4500人に及んだ自衛隊災害派遣活動は終了した。現場で活躍した隊員諸官のご苦労を多としたい。他方、生物戦に敏感な北朝鮮・台湾はいち早く生物戦対応を取ったため、被害を極限できたとされ、大いに参考とすべきである。さらに、隔離用施設、病院船等、今回の反省を踏まえて、ウイルス、細菌等の生物疫被害に対応する努力を、より大規模に開始すべきである。

(すぎやま・しげる)