日本の特殊性を認識しよう

NPO法人修学院院長・アジア太平洋学会会長 久保田 信之

生き続ける神代の文化
神髄は「自然と精神の一体化」

久保田 信之

NPO法人修学院院長・アジア太平洋学会会長 久保田 信之

 他の国々の場合、「文化的繋(つな)がり」を過去に遡(さかのぼ)ってみると、大地、地域は同じであっても、異質の人間により異質の生活文化がその地域を支配していた、という事例に出合うのが常です。日本だけが、神代の文化が現在に生き続いているのです。日本の文化史は特異性を持ったものなのです。

 日本の歴史は、自然を愛し、自然を恐れた、縄文から始まっているのです。四季折々、自然の贈り物を頂く、狩猟、漁労、定着採集民がつくった縄文文化は、土器の製作に優れ、約5000万点の土偶の比類の無い独創性は世界的ですが、日本の精神史の中に組み入れられていないのです。

対立忌み嫌う主客合一

 大陸から仏教が伝来するまでは、八百万(やおよろず)の神々が人々の心の隅々にまで支え育んできた汎神的な国でした。西暦538年といわれていますが、中国や朝鮮半島から仏教文化が渡来しました。

 以来、神と仏が敵対することなく同居し、四方を海に囲まれた自然風土が日本人の大らかな自然観を育んだのです。そして大陸直輸入の文化を巧みに習熟して、農耕民族の清麗さを尊ぶ日本人の精神構造に大きな影響を与えてきました。

 自然と混然一体と融合することに最高の美を見いだす日本人独特の美意識は、縄文を原点において弥生を吸収しながら醸成され、次第に独自の美意識を育み、対立を忌み嫌う主客合一、香り高き日本文化を築き上げたと考えるべきでしょう。

 以来200余年で、文学作品にも世界に誇る日本文化の神髄が見られ、日本人独特の美意識のエッセンスともいうべき和歌集、万葉集の編纂(へんさん)が行われたのです。

 倫理学者・相良亨氏は『古今集』に見る日本の歌を「心に思うことを自然の景物に託して、その交感・交流の中に生まれてくるものだった」と、日本人の自然観を指摘しています。自己の小宇宙の中に自然をつくり上げる「見立て」の思想や日本庭園・活け花・陶器に見る「景色」の奥義は、全て自然と融合することを究極の美とする日本人の美意識の結晶です。

 この点、アメリカの思想家G・H・ミードは「自我とは一般化された他者である」と解釈していますし、スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットも「環境と私は一体であり、この環境を救わないなら私も救えない」と説いています。

 日本文化の神髄たる「自然と精神の一体化」は世界が求める憧れだと自負できる普遍的価値なのです。

 19世紀末ヨーロッパにジャポニズムの旋風が起こり、世紀末にはアール・ヌーヴォーに発展した歴史的経緯も、日本文化に源をおく流れです。

 「自然」という概念そのものも、諸外国とは違います。特に、近代科学の発祥地であるキリスト教文化圏では、科学的合理主義と技術によって、人間が支配し征服しなければならない危険な対象物・人間に対立する存在、と位置付けてきました。この中から生まれた美意識は、黄金比でありシンメトリー(左右相称)であり、はたまた金銭的な高価さであったのです。

 多くを語るまでもなく西洋の庭園美は、主人公たる人間が、人間が求めた美意識通りに、草や木を配列、芝を張り巡らし噴水を飛ばし、砂利を敷き詰めた“人間様の勝利”にすぎない産物なのです。

自然の美を慈しみ尊重

 日本人は、自然とは「自ら然(しか)り」の通り、自然がつくりだした美そのものに畏敬の念と安らぎを感じ、それを傷つけずに、時には恐れながら心に留めて「神々しさ」を感じながら接してきたのです。その美を慈しみ尊重する形で、自然美を整え守り続けるよう人間が手を加えてきたのです。

 こうした日本人の独特な感性をぜひとも再認識したいものです。

(くぼた・のぶゆき)