武漢ウイルス禍と国際政治感覚
東洋学園大学教授 櫻田 淳
損ねられる日本の「声望」
利用すべき国際機関の「権威」
諸々(もろもろ)の報道に拠(よ)れば、2日、テドロス・アダノム・ゲブレイェソス(世界保健機関〈WHO〉事務局長)は、武漢ウイルス禍の拡散動向を念頭に置き、「WHOは韓国、イタリア、イラン、日本の情勢を最も懸念している」と述べた。読売新聞記事(5日配信)は、このテドロス発言に関連して、「政府は、…事実に基づいて発言するよう申し入れた。これを受け、テドロス氏は『中国以外の症例の8割は、韓国、イラン、イタリアだ』と発言を軌道修正した」と報じた。
国際秩序侵食する中国
テドロスは、日本政府の申し入れに応じて発言を修正するのであれば、一体、何を根拠にして「日本に対する懸念」を表明していたのか。テドロスにあっては、こうした「腰の定まらない」姿勢こそが「露骨な中国贔屓(びいき)」姿勢と評されるものよりも、はるかに問題であろう。それは、WHOが出す見解の「権威」を毀損(きそん)するからである。
後でも触れるように、WHOに類する国際機関の「権威」とは、自らの「権力」の都合に沿って利用すべきものであるけれども、その利用すべき「権威」が「権威」ですらなくなったら、どうなるかということである。WHOや国連教育科学文化機関(UNESCO)に類する国際機関は、第2次世界大戦後の「リベラルな国際秩序」を支える枠組みとして位置付けられたものであるけれども、テドロスの姿勢は、それ自体が「リベラルな国際秩序」の動揺を示唆する。
振り返れば、テドロス麾下(きか)のWHOは、武漢ウイルス禍の初期段階で「非常事態宣言」を出すのを躊躇(ちゅうちょ)し、それを出した際にも「移動と貿易の制限は必要ない」という趣旨の見解を示した。目下、WHOの見解に半ばばか正直に従った日本は、WHOから感染拡大の懸念を一刻にせよ向けられる4カ国の一つになったようである。
「武漢ウイルス禍を最初に発生させたのは、確かに中国であるけれども、その拡散を防ぎ切れずに結果として世界に広めているのは、日本を含む4カ国である」
このような武漢ウイルス禍に絡む「物語」の書き換えは、WHOが意図しているかは別として進められているようである。それは、中国共産党政府ならば歓迎する動きであろう。事実、中国外務省からは、WHOによる中国評価の声に乗じて、「中国人民は巨大な犠牲を払って、世界の人々の健康と安全のために大きな貢献をしている」という声が出されている。中国は、WHOへの影響力を通じて「リベラルな国際秩序」を侵食している。
武漢ウイルス禍対応が日本に与えた最大の害悪は、国際場裡(じょうり)での日本の「声望」や「評判」が確実に損ねられていることである。そもそも、WHOに類する国際機関の「権威」は、それに平伏するものではなく、それを自分の「権力」の都合に沿って利用するものである。
平安末期、各々の武士団が自らの政治・軍事行動を正当化するために「院宣」や「追討令」を求めた故事、さらには幕末の政局で「錦の御旗」を掲げて自ら官軍であることを演出した薩長両藩の故事を思い起こせば、そうした「権威を利用する」感覚は、日本人にとって決して馴染(なじ)みの薄いものではない。問われるべきは、何故(なぜ)、そのような「権威を利用する」感覚が、国際政治場裡では働かないのかということである。
WHOの「権威」奪還を
「国内政治では赤裸々な『権力』の獲得と行使に手を染めているのに、国際政治では『権力』意識が希薄な綺麗事(きれいごと)を語りたがる」という奇妙な日本人の性向は、既に半世紀以上前に永井陽之助(政治学者)によって指摘されたものであるけれども、その性向は、依然として改まっていないようである。
今後の日本に要請されるのは、「リベラルな国際秩序」を支えるために、WHOの「権威」を奪還するという発想であろう。
現下の武漢ウイルス禍対応が問い質(ただ)しているのは、日本人の国際政治感覚である。
(敬称略)
(さくらだ・じゅん)