アフガニスタンもまた厳しく

元レジェンドも舞台に再登場

山田寛

 難民、ロシア軍空爆、イスラム超過激派IS。シリアは混沌の極みだが、アフガニスタン情勢も厳しくなってきた。9月末、反政府ゲリラのタリバンが、北部の州都クンドゥズを一時制圧した。政府軍がその後奪回を発表したが攻防戦は続き、米軍機の病院誤爆も起きた。一方、首都に近い東部ナンガルハル州で、浸透を強めているISの武装勢力が、初めて警察の検問所を襲撃した。

 アフガニスタンでは昨年末、国際治安支援部隊が撤退、来年末には米軍も完全撤退する予定だった。しかし、政府とタリバンの和平協議は中断、戦闘とテロで治安は最悪レベルに陥っている。そこへISが入り込み、東部の村々を襲撃、警察機関まで攻撃し始めたのだ。

 そんな中、かつてアフガン戦争のレジェンドだった男の動静に、久しぶりに注目が集まっている。グルブディン・ヘクマチアルだ。

 9月初め、彼の組織「イスラム党」から、タリバンとISの勢力争いでは、ISを支持するという声明が発表された。だが直後に、その声明を否定する別の声明も出た。

 ヘクマチアルは今年68歳。過去40年、イスラム根本主義武装勢力を率いて、権力掌握のため闘い続けてきた。2001年の米軍のタリバン政権打倒とその後の介入に断固反対し、今もライバルのタリバンに次ぐ2番目の反政府ゲリラ勢力だ。だが、勢力圏は東部に限られ、活動はタリバンの4分の1程度で、あまり注目されなくなっていた。政府との和平協議に応じたりするタリバンを強く批判している。

 タリバンはISの浸透に反発、両者間の武力衝突も起きている。そんな中でのヘクマチアル派の声明だった。どちらの声明がどれだけ本当か分かり難い。彼は、敵と一時手を握ったり味方を裏切ったり、を繰り返してきた男なのだ。

 1979年末のソ連軍侵攻、アフガン戦争開始の直後、私はパキスタン領内で、青年ヘクマチアルに会見した。無表情の白い顔。こんな冷たい感じの人間は初めてだ、と思った。当時、米ソ交渉開始情報が流れる一方、他のゲリラ組織は外国援助の受け皿となる同盟の結成に着手していた。しかし、彼は言い捨てた。「クレムリンやホワイトハウスで事が決まるほど、アフガン問題は単純ではない」「われわれは外国から何の援助も受けていない。5年前に反政府武力闘争を始めた強力組織だ。弱小連中と同盟など組めるか」。

 しかし、80年代半ば、彼の組織はパキスタン情報機関の仲立ちで、年2億㌦に上る米中央情報局(CIA)のゲリラ援助の大半を受け取るようになった。

 ソ連軍撤退後の90年代前半、旧ゲリラ各派連合政権の首相を務めたが、ライバル他派に対し、和解と争いの権謀術数を展開した。タリバンが政権を握った90年代後半にはイランに亡命したが、02年に追放されて国内に戻り、聖戦・テロを再開した。

 ヘクマチアルは、アフガニスタンやイラクでの米国の「敵の敵は味方」戦略の大失敗例1号だった。その米国の失敗は、ウサマ・ビンラディン、イラクのサダム・フセインと繰り返された。タリバン政権にも、当初米国はこの国の安定化勢力として期待をかけた。イスラム過激派でも専制政権でも支持・支援した結果が、不倶戴天の敵のブーメランとなって返ってきた。

 したたかで筋金入りのヘクマチアル。本当にISと手を握れば、ここでもISの聖域拡大が容易になる。とにかく3すくみのゲリラの攻勢競争。米軍の完全撤退は、当分先となりそうである。

(元嘉悦大学教授)