ノーベル平和賞にチュニジア4団体

民主化背景にエジプトの「同胞団圧迫」

 チュニジアの「国民対話カルテット」にノーベル平和賞が授与された。独裁政権の打倒と民主主義を求めた「アラブの春」による、ベンアリ政権崩壊後のイスラム主義勢力と世俗派勢力との対立解消に貢献、民主化を推し進めたのが受賞理由とされるものの、調整成功の裏には、エジプトでのムスリム同胞団に対する徹底した圧迫により、秒読みだった同胞団政権樹立が宙に浮き、政教分離による民主主義を掲げる世俗勢力が勝利したのが実態だ。(カイロ・鈴木眞吉)

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民主化を求めデモを行うチュニジアの人々2013年8月、チュニス(AFP時事)

 民主主義確立への観点から見て、アラブ・イスラム世界が抱える最大の問題点は、各国でイスラム教徒が大多数を占めることから、イスラム教を前面に立てイスラムの理想国家建設を訴える政党が、民衆の支持を得やすい基本的な土壌があることだ。

 その先兵が、1928年エジプトで結成されたムスリム同胞団で、「イスラム法(シャリア)」によって統治される「イスラム国家」の建設を目標にしている社会運動・宗教運動組織だ。

 ムスリム同胞団の最大の特徴は、大衆を相手にさまざまな社会活動を展開したことだ。しかし実態は、ナセル大統領暗殺未遂事件を起こし、同団の分派はサダト大統領を暗殺するなどテロを多用した。

 そのムスリム同胞団やイラン・イスラム革命に触発されて1981年に結成されたのがチュニジアの政党「アンナハダ」で、ベンアリ政権崩壊後初めて行われた2011年10月の制憲議会選挙で、217議席中89議席を獲得、第1党となった。エジプトもムバラク政権崩壊後の初の12年の選挙で最初に政権を獲得したのは、ムスリム同胞団主体の「モルシ政権」だった。

 アンナハダは連立政権で第2党のマルキーズ党首を暫定大統領に選出、同胞団政権の成立を見送った。チュニジアはそのまま行けば、完全に同胞団が実権を掌握、エジプトのごとく、全土のイスラム化に向けた動きが強まったに違いない。

 しかしそれにストップをかけたのが、エジプトだ。モルシ同胞団政権による「急激なイスラム化と経済無策」に危機感を抱いた国民は、軍に改革を要請、大規模デモを通じてモルシ政権を13年6月に打倒、シシ政権を歓迎した。シシ政権は国民の願いを受けて同胞団を圧迫、指導層を中心に徹底して逮捕した。

 実は、そのことが、チュニジアのアンナハダを弱体化させた。焦った同胞団が13年2月、世俗派野党指導者を、同年7月には、世俗派野党幹部のブラヒミ制憲議会議員を暗殺するなど、本性を見せ始めたことから、国民はアンナハダを批判、デモが常態化した。

 14年10月の選挙では、世俗派野党5党により12年7月に設立された、イスラム主義に対抗する近代的な党「チュニジアの呼び掛け」が86議席を獲得、アンナハダは国民からテロ体質を批判され、20議席も減らし、政権は世俗派が担うことになり、チュニジアの危機はとりあえず回避された。その背後に、エジプト国民による、ムスリム同胞団圧迫があった。

 元タンタ大学教授のルシディ氏は、同胞団は民主主義を利用して議席を伸ばし、政権獲得後はイスラム独裁に回帰する反民主主義的団体であることを見抜く必要があると主張する。