足利学校で学ぶ思いやり

 息子の案内で、栃木県足利市にある日本最古の学校と言われる史跡足利学校を訪ねたことがある。

 その昔、漢文を学ぶ若者たちが集まり、それを基礎に日本文化を築こうと志した日本最古の学問所と言われている。

 今から560年ほど前、時の関東管領上杉憲実(のりざね)が、この足利学校を再興し、その文章の中に、「三註・四書・六経・列・荘・老・史記・文選の外は、学校に於いて講ずべからざるの段、旧記に為(つく)るの上は、今更(あらた)めて之を禁ずるに及ばず。(以下略)」と言っている。

 すなわち、足利学校での学問は、中国の四庫(しこ)による書籍の全域にわたり、かつての中国学そのものであった、と同学校の記念館で求めた“論語抄”に記されている(編集・発行、足利市教育委員会=史跡足利学校事務所)。

 一冊買い求めて帰宅して読んでみた。昔懐かしい言葉が出てくる。

 “子(し)曰(いわ)く、学びて時に之を習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)有(あ)り遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦た君子ならずや。”

 孔子の有名な言葉である。

 …学問をして、その学んだところを、復習すると、自分の真の知識として体得される。

 知識が豊かになれば、道を同じくする友達が、遠くからまでもやって来て、学問について話し合うようになる。何と楽しいことではないか。

 しかし、いくら勉強しても、自分を認めてくれない人が世間にはいるもの。そうした人がいたとしても、恨まない。それでこそ、学徳ともにすぐれた君子ではないか。…

 という解説がされている。

 “子曰く、巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すくな)し仁”

 これもよく聞く言葉である。

 …孔子が言った。巧みに言葉を飾ったり、巧みに顔色を取り繕ったりする人物は、ほとんど仁(人間愛)の道はないと言ってよい。…

 改めて読んでみれば、古い言葉の中に、人間の心理、礼節の基本や、人生観が込められ、何度読んでも飽きない哲学が含まれている。

 漢文を習うことはなかったが、この小冊子が知恵の宝のように思えて、帰宅してから10冊ほど史跡足利学校に注文し、送っていただいた。

 人生の知恵は、古今東西を問わず存在している。それを拾い集め、生きる力とすべきであろう。

 職場で、家庭で、また学校や社会で毎日のように事件が起き、殺人までが起きている。

 特にあってはならない事件は、子供や障害者への虐待事件である。

 身体や精神に障害を持つ人々は、一般の健康な人たちに比べ、幾つかの弱点を持ち、日常生活に不便さを感じている。その弱点を気に留めずに乱暴をすると、思わぬ傷害事件となる。

 施設や家庭の中で、それが増しているようだ。健康な人や大人から見れば、障害を持つ人や子供への配慮は人一倍持たなければならない。

 それが逆に“虐待”の形で現れることは、正常な人間社会であってはならないことである。

 孔子はさらに言う。

 “子曰く、人、遠き慮(おもんばかり)無ければ、必ず近き憂い有り”

 思いやりがなければならないとの警告である。