恵まれて不満が多い異常
少し古い話になるが、戦後の経済界を牽引(けんいん)した松下幸之助氏の著書「崩れゆく日本をどう救うか」を再読した。
初版は昭和49年12月。
私が「日教組が崩れ去る日」を善本社にお願いして出していただいたのが、昭和60年11月。10年余の差はあるが、社共両党による日教組教育の弊害で、将来の若者たちの健全な自立が危ぶまれて、世の親たち、教師たちに、警告を与えた頃と同時期の問題を扱っていると思われた。
松下幸之助氏は戦前の教育を知っており、私もまた修身教育を受けた世代であった。
教育の異常は大きな政治の責任だが、現代の政治家そのものに、国家への責任、国民への将来の見通しなどの真の政治理念があるかどうか。現代政治家にその理念の希薄さが感じられてならない。
松下幸之助氏は訴えている。
「政府や政党や自治体が『いろいろやってあげましょう』といってくれるのはまことにけっこうだし、ありがたいことだが、もともとそんな力は持っていないのである。国民が個人といわず企業といわず一生けんめい働いて成果をあげる。その成果の半分を税金として納めることによって、はじめて政府も政党も自治体もいろいろな施策ができるのである」と。そしてまた、「そういうことは国の基本法である憲法にはっきりうたわれていてもいいぐらいのことである。…こうした条項とともに、そのために国民として何を考え、何をなさねばならないかということが併せて記されるべきではなかったかと思う」。そしてまた、「自主独立の心をなくし、他に依存するようになれば人間は弱いものである」。
さらに、「総理府で世界十一カ国の青少年の意識調査をしたところ、先進国、開発途上国いろいろある中で、日本の青少年の不満がとびぬけて高かったということが紹介されていた。他の十カ国の中には、なるほどだれがみても好ましいという国もあるが、どちらかといえばいろいろな点で日本ほど恵まれていないと考えられる国が多い。にもかかわらず、日本の青少年の不平不満がそれらの国ぐにの青少年よりはるかに高いというのはどういうわけだろうか」と。
松下氏の訴えは、おそらく、日本全国の父母、親たちの気持ちそのままであろう。
戦後の教育の異常さを知っている私には、よく分かる疑問である。松下氏はまた訴える。「青少年の不平不満は、そのまま大人の不平不満となる」
松下氏は、かつてのケネディ大統領の言葉、「諸君はいま、国家が諸君に対して何をしてくれるかを問うべきではない。諸君が国家に対して何をなすべきかを問わねばならぬ時なのだ」という有名な言葉に大きな共感を持ったようだ。
その国の国民意識、若者の意識をどう高めるか、それは教育しかないのだ。
幼い6歳から18歳(4年後から成人)に至るまで、家庭と学校教育で立派に自立する人間教育を行わなければならない。若い父母と教師にその責任がある。それを怠ると、全ての人間を不幸にする。それが現代の世相の姿ではなかろうか。
賢者、松下幸之助氏の言葉を、今一度かみしめてみるとよいだろう。