教師による児童いじめ 政治化した教育界の異常
自殺問題と教育の荒廃
月刊誌「ビューポイント」8月号に、いじめ・自殺撲滅運動に関わる記事が載っていた。NPO法人「再チャレンジ東京」理事長・平林朋紀氏をインタビューした記事で、平林氏は、バブル経済崩壊当時に自殺する経営者が相次いだことから、経営者を自殺から救済するNPOを設立した。自殺防止のセミナー開催が主な活動だったが、徐々に子供たちの“いじめ自殺”も話題になっていったようだ。
バブル崩壊後の長期不況の時代、自殺者は年間3万人を超えていたが、私もJR新宿駅で50代とみられる男性が鞄(かばん)を振り上げて電車に飛び込む背広姿を目撃した。JRの電車は止まったままになり、諦めて地下鉄に乗り換えようと地下に降りてホームに出たが、なんとそこでも若い男性の自殺があったという。
地下鉄も動かず、傍らにいた女子学生と相談してタクシーに乗り合いをして目的地まで行ったことがある。20年ほど前のことだった。
倒産、失業、就職難が続いたその頃、別のある日、ホームの縁で線路を覗(のぞ)いていた若者を見て声を掛け、後ろのベンチに座らせて話を聞き、自殺を止めたことがあった。後日、彼から電話が来て安堵(あんど)した。
大人や若者も大切な命であるが、それ以上に私の大きな関心は子供の自殺である。親は勿論(もちろん)のこと、学校教師、社会全体が子供の自殺にもっと強い関心と注意を持たなければならない。子供はこれからの日本を創造する宝である。
しかし、残念ながら戦後の日教組(日本教職員組合)により、それが程遠くなった。信じられないことだったが、彼らの目的である共産主義革命を教育で起こそうとした結果だった。
総評(日本労働組合総評議会、1950年結成した旧社会党系の労組ナショナルセンター。89年解消)の下に公務員の労組が誕生し、教職員の組合である日教組、高教組(日本高等学校教職員組合)が政治化し教育界が荒れたのだった。
当時、日教組の「教師の倫理綱領」には「教師は労働者である」の一文があり、かつては「聖職」と呼ばれた教師たちの本質が、労働者による革命路線に歪(ゆが)められたのだ。そのため公教育が政治化し、教育公務員が日教組によって社会・共産両党の票田とされた。
教育正常化運動を通して徐々にその実態が知られることになるが、その間の子供たちの犠牲は大きく、「道徳」に反対した日教組の政治活動も、子供の心を無視した“いじめ”につながったようである。
選挙応援断った仕打ち
父母の相談で徐々にその実態が分かってきたが、それは児童心理も無視した、異常な政治の世界だった。
一例を挙げてみよう。
札幌市内の母親からの相談だったが、小5の女児が小太りなのを生徒たちにバカにされ、登校拒否を起こしているのに、教師たちが始業前に校内で「赤旗」(日本共産党機関紙)配りをしていると、公教育の在り方を問題視していた。
東京都下の小学校でPTA会長だった母親からも相談を受けた。PTAの会議に出て、会議終了後に主任教師が「実は参議院選挙で社会党のA氏を応援しているので、父母の皆さんにもお伝えいただきたいのです」と頼まれたという。
違反だからと、その母親は断った。すると、学校に通う娘さんを教師たちが無視するようになり、国語や算数の時間に生徒が順番に回答する答え合わせで、答えを用意して待っても、この子だけ飛ばして次の子を指すなど嫌がらせをしたという。
異常な教師、あるいは教師の政治への偏向が、子供の心をなおざりにし、時に終生の傷となって残ってしまうのだ。