生徒自殺に賠償訴訟 義務を怠る教師・学校側
公教育が異常な世界に
世界日報の「オピニオン」記事(8月19日付「暴力教師と生徒の自殺」)を読んだとのことで、長崎県在住の医師で全国教育問題協議会(全教協)顧問の梶山茂氏から便りをいただいた。その中で、「“いじめ”は人権問題」と言明している。同封の資料の中には、広島・長崎における教諭らを刑事告発して受理され、「長崎県では被害生徒の両親が町と県を相手に6000万円を超える損害賠償の訴訟…」、とのことだった。
かつて、梶山氏と共に全教協の立ち上げ期の発起人の一人でもあった私は、教育が政治化して日教組による社・共両党の票田にされた異常性を重視したのだった。日教組は総評(日本労働組合総評議会、1950年結成した旧社会党系の労組ナショナルセンター。89年解消)のリーダー格となり、日教組の「教師の倫理綱領」(昭和26年)に載る「教師は労働者である」の認識で、戦後の公教育が公務員共闘の掛け声のもと、異常な世界となった。
子供たちの学校教育はあくまで中立で公平でなければならず、子供たちの背景には、各種の職を持つ父母がおり、その家庭で育つ子供たちに政治の色をつけてはいけない。それが公教育の原則である。それを戦後の日教組、高教組は間違えたのだ。
私が教職15年の最初の1年が北海道学芸大学(今の北海道教育大学)附属中学校だったのが幸いし、教師になって初めて教育の素晴らしさ、生徒のさまざまな個性と才能の豊かさに驚き、その成長を心から望んで、教職に就けた喜びに時間を忘れて、生徒と共に過ごした。
それが、2年目に公立中学校の校長の招きで家の近くの公立中学校に転勤して驚いた。
教師たちの勤務態度が違っていた。戦後の人口増加の中、生徒数は増え、教師の数も40名、50名と増え続けた。それが、日教組の名の下に社・共両党の“革新”と呼ばれる政党の票田にされたのである。
戦後の北の教育界の異常性は、その後、さまざまな弊害を生んだ。
前記「オピニオン」の記事に書いたように、組合の力を借りた男性教師は、大学教授の中3の息子(次男)に暴力を続け、少年は遂に高校受験を前に首吊(つ)り自殺を遂げてしまった。
長崎の梶山氏らは、子供の自殺事件については早い時期から告訴し、賠償問題にしてその異常性を世に訴えていたのであった。これは子供たちを正しく守る上での大きな進展であった。
梶山氏からの情報によれば、長崎県新上五町の「いじめ自殺訴訟」(2014年1月、同町立奈良尾中3年の松竹景虎さん)の自殺事件に対し、遺族は町と県に対して、計6250万円の損害賠償を求めて提訴したという。それに対して町と県は当初争う姿勢を見せていたが、同年12月に一転し、いじめの事実や自殺の因果関係、学校側の安全配慮義務違反を認めたのであった(17年8月9日付長崎新聞)。
教育不在で不幸の連鎖
さらに続けて梶山氏らは、埼玉県川越市で同市立中の同級生3人から暴行を受け、寝たきりになっている少年(19)に対し、母親が「いじめを放置した」として市や同級生側に慰謝料など約4億円の損害賠償を求めて裁判を起こし、さいたま地裁川越支部は昨年12月22日、約1億4800万円の支払いを市と同級生らに命じたという(16年12月23日付産経新聞)。判決で野口忠彦裁判長は、「暴行は3人の少年によるいじめの一環」と判断したのであった。
同紙の記事によれば、当の男子生徒が継続的にからかいの対象となっていたことから、「教員らは暴力を伴う事件にまで発展し、生命と身体に危険が及ぶ事態を予見できた」と指摘し、「注意義務を怠った過失がある」と認定したのだった。教育不在による不幸の連鎖は続くのである。





