日教組腐敗の連鎖 不倫で委員長辞任に驚愕

想像以上に堕ちた組織

 昨年の日教組の腐敗にはあ然とした。週刊新潮(2016年10月20日号)に日教組の岡本泰良(やすなが)委員長の不倫記事が載り、新聞各紙(産経11・3、読売11・4)が岡本氏の進退問題を取り上げたことを新潮がまた11月17日号で触れた。同誌が10月20日号で報じた女性問題などが事実かどうかの釈明もないまま委員長が雲隠れしているという内容だった。

 なんと同誌には、「ラブホテルに入るの図」として、女性と2人の写真までが載せられていた。日教組が、岡本委員長の11月29日付の辞任を正式発表したのは11月30日のことだった。

 私は、日教組が戦後、革新系政党の母体となって腐敗した現実は知っていたものの、そこまで堕(お)ちているとは想像以上の驚きだった。

 今少し同誌11月17日号の記事を振り返ってみたい。見出しは「雲隠れのまま辞任!愛欲の虜『日教組委員長』が『息も絶え絶えです』」で、日教組本部は、「事実解明を曖昧にしたまま、委員長の入れ替えでお茶を濁そうという狙いが見え見え」と書かれているようでは、日教組の組織そのものが、“瓦解(がかい)”寸前の姿と言えるだろう。

 おそらく週刊新潮の取材記者も、かつては政治を動かすほどの野党勢力だった日教組委員長の不倫の姿に、半ば仰天したにちがいない。教育者として許せない日教組腐敗に憤りを感じたかも知れない。

 同誌記者は岡本委員長の知人の一人にも会い、不倫を報道した後の委員長の様子も同誌11月17日号で取り上げている。知人は「本人は反省の色はありませんが、この結果に恨めしい思いを抱いていました。ショックは大きく、“もう息も絶え絶えです……”とこぼしていました」と、語っていたという(傍点筆者)。

 愛人の女性も「もうお会いすることはないでしょう」と語り、日教組委員長のスキャンダルは現実の話だったわけである。

 私が現職教師の時代の日教組は、ここまで腐敗していなかった。国旗、国歌に反対し、道徳教育、主任制度化反対の反国家主義であり、目的は伝統文化を否定し、教育による日本の共産化だった。

 しかし、現在は、そのイデオロギーの上にあぐらをかいて権力化した人間性喪失の日教組指導部となったようだ。子供の自殺や家庭内での殺人傷害事件など、枚挙にいとまがない異常な社会現象は、長年の日教組による無神論、唯物論に発する闘争教育に根源があると私は思う。教師体験者ならその異常がわかるはずだ。

失敗した日教組の教育

 戦後70年の非人間的日教組教育で、親の愛情ある人間教育が失われた結果の社会現象なのである。教育の目的が日教組の政治目的に歪(ゆが)められ、善良な教師も子供たちも真の人間性を見失い、長い人生に必要な真のヒューマニズムが、日本人の心から消えていったのである。

 これは恐るべき社会現象なのだ。今や日常的に起こる殺人、強盗、傷害事件の原因は「心」を否定し、「モラル」を無視した戦後の日教組に支配された教育であったのだ。そのような教育の失敗で岡本氏は日教組委員長のポストは得ても恥知らずな人間に育ってしまったのだ。昨年の岡本委員長の醜態(スキャンダル)暴露は、天の啓示かも知れない。

 国民の幸・不幸を決めるのは、昔も今も、教育と政治のあり方にかかっている。それはいつの世も、時代に変わりなく真理なのだ。親はいつの世も子供の幸福を願い、教育のあり方にそれを期待している。

 教師は親の願いを胸に受けて、次の世を担う健全な若者を育てる義務と責任がある。それが果たせない教師は職を変えるべきであろう。