沖縄の伝統工芸品、芭蕉布に優れた科学的根拠

芭蕉布シンポジウム、伝統工芸の保存・継承の重要性強調

 沖縄県を代表する伝統工芸品の芭蕉布。現在、沖縄本島北部の大宜味(おおぎみ)村喜如嘉(きじょか)ほか、わずか数カ所でしか製造されていない。沖縄科学技術大学院大学(OIST)でこのほど開催されたシンポジウムで伝統工芸の保存・継承の重要性が強調されるとともに、芭蕉布が蒸し暑い沖縄の衣服として優れている科学的根拠について解明されたことが報告された。(那覇支局・豊田 剛)

芭蕉布の繊維「ウー」が沖縄の夏服として最適

沖縄科学技術大学院大学が採繊工程を解明

沖縄の伝統工芸品、芭蕉布に優れた科学的根拠

講演する平良美恵子さん(左)と村井龍彦さん=22日、沖縄県恩納村の沖縄科学技術大学院大学(OIST)

 芭蕉布は、古くから沖縄で織られていた伝統的な自然布。1429年から1879年までの琉球王国時代に重宝され、明治時代以降さらに発展した。バショウの一種のイトバショウが原料で、茎から採れる繊維で作られている。国指定の重要無形文化財で、経済産業省指定の伝統的工芸品でもある。

 OISTは昨年末、芭蕉布の作製工程の採繊工程を初めて科学的に解明し、「ウー」と呼ばれる芭蕉布の繊維が蒸し暑い沖縄の夏の衣服として利用するのに適していることを証明した。

 芭蕉布の涼しさの秘密に迫ろうと、世界最先端の電子顕微鏡技術を活用して研究したのは、バイオテクノロジーが専門の野村陽子博士だ。2014年、OISTに着任すると、沖縄の夏の蒸し暑さに衝撃を受け、エアコンのない昔、人々は何を着て生活していたのか関心を持ったという。

 OISTでは芭蕉布の展覧会が8月27日から9月22日まで開かれたが、最終日には芭蕉布に関するシンポジウムが開かれ、芭蕉布の保存と今後の発展に関して専門家らによる研究が発表された。

沖縄の伝統工芸品、芭蕉布に優れた科学的根拠

OISTに展示された芭蕉布

 喜如嘉芭蕉布は、90歳を超えた現在も現役で芭蕉布を作り続ける人間国宝・平良敏子さんなくして語れない。

 敏子さんは戦時中、「女子挺身隊」の一員として岡山県倉敷市で働き、戦後は倉敷紡績工場に務めた。そこで1年ほど織物の技術を学んだ後、帰郷。戦後、沖縄で途絶えつつあった芭蕉布作りを工芸に高めた。生産に当たり、さまざまな苦労に直面した。イトバショウは2~3年に1度しか収穫できない上、布の製作には、繊維を柔らかくするための葉落とし・芯止めか皮剥ぎ、さらに、上質の灰を使った繊維の炊き上げなど23の工程がある。そのうち、一カ所でも手を抜くと、全てが台無しになるほど、細かな神経が要求される。この技術を現在まで継承しているのだ。

沖縄の伝統工芸品、芭蕉布に優れた科学的根拠

芭蕉布の原料となるイトバショウ

 現在、喜如嘉での年間生産高は250反(1反はおよそ1着分に相当)という。敏子さんの義理の娘である喜如嘉芭蕉布事業用同組合の平良美恵子理事長は、「芭蕉布は琉球王府の特産品として、上納布として使われた。(江戸に使節を送る)『江戸上り』が18回あったが、1回の江戸のぼりで千反が献上されたと記録されている」と説明。その上で、「最も多い時期には130人の従事者がいたが、今は半分以下に減少した。喜如嘉だけでは存続するのが大変な現状だ」と強調した。

 OISTは、琉球大学と県に働き掛け、原材料栽培の支援を求めた。琉球大学農学部の諏訪竜一准教授はこの求めに応じ、イトバショウの生産確保に励んでいる。同准教授は「イトバショウは重要な産業用作物であるにもかかわらず、驚くほど研究例が少ない。安定栽培・収穫に取り組んでいる」と語った。

 原材料や後継者不足の危機に直面する自然布は芭蕉布だけではない。「大井川葛布」(静岡県島田市)の権威で古代織産地連絡会の村井龍彦事務局長は、日本には北海道から沖縄まで自然布が10種類以上あり、世界で最も種類が多いという。自然布の定義として、「自然からそのままとれた植物によるもので、自然と人の営みの中ででき、風土と調和したもの。自然への敬意、感謝、畏怖と信仰が込められているもの」と説明。「体にやさしい自然布は人々の健康をも守る“未来の宝”として注目され始めている」とし、ファストファッションに代表されるような大量生産とは違う「新たな繊維革命が来ることが望まれる」と期待を込めた。

 シンポジウムではこのほか、沖縄県立博物館・美術館の與那嶺一子学芸員、沖縄県商工労働部ものづくり振興課 宜保秀一、名古屋女子大家政学部の小町屋寿子教授も発表。芭蕉布などの伝統工芸を保存・継承することの重要性を強調した。

 シンポジウムに参加した大宜味村の宮城功光村長は、「村に芭蕉布を中心とした織物博物館を建設したい。やんばるが世界遺産に登録されるまでに方向性を付けたい」と抱負を語った。