韓国抑止力削ぐ軍事合意

平壌共同宣言の波紋 (上)

 韓国の文在寅大統領が北朝鮮の平壌を訪問し、金正恩朝鮮労働党委員長との3回目の首脳会談を行った。会談結果は文大統領支持者を中心に高く評価された一方、保守派からは安全保障面で危惧する声が上がるなど波紋も広がっている。何が問題視されているのか。(ソウル・上田勇実)

「終戦宣言」なら親北派が米軍批判

 「なんでこんなに喜んでいるのか不思議だ。日本の反応はどうか」

宋永武国防相(手前左)と努光鉄人民武力相

19日、平壌の百花園迎賓館で行われた南北首脳会談で「板門店宣言履行のための南北軍事分野合意書」に署名した韓国の宋永武国防相(手前左)と北朝鮮の努光鉄人民武力相(同右)(平壌写真共同取材団)

 首脳会談取材のためソウル市内に設けられた臨時プレスセンターで、知り合いの韓国人記者に会うといきなりこう言ってきた。韓国メディアの大半が会談を好意的に伝えていることに違和感を覚えてのことだ。

 経済政策が裏目に出て低下していた文大統領の支持率も3日間の会談で一挙に10ポイントあまり上昇、再び60%台に跳ね上がった。北朝鮮に対する韓国国民の認識では、以前なら選挙前に北朝鮮の軍事的脅威が世論を右傾化させる「北風」が話題になったものだが、今や南北融和が演出され世論の大半が「平和」に陶酔する逆の意味での「北風」に左右されている。

 だが、保守派は両首脳が署名した平壌共同宣言で最大の成果と強調されている軍事的緊張緩和こそ「最大の罠(わな)」と警戒心を露(あら)わにしている。軍機務司令部参謀長を務めた宋大晟元世宗研究所所長はこう指摘する。

 「軍事境界線を挟み通常兵力では北朝鮮に対し優位を保つ韓国側の抑止力だけが一方的に削(そ)がれる恐れがある二重合意ではないか。数々の合意を反故(ほご)にしてきた北朝鮮がこれを守る保証はどこにもない」

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 同宣言と共に双方の国防相が署名した「軍事分野合意書」によると、まず来月初めから南北境界線上に位置する共同警備区域(JSA)、通称、板門店が「南北と国連軍司令部の3者協議で1カ月以内に非武装化」される。

 また11月1日からは境界線を挟む南北双方の陸上、上空、海上における指定区域で「敵対行為」すなわち各種の軍事演習が中断され、12月末までには東西約250㌔、幅4㌔に及ぶ非武装地帯にある警戒監視所(GP)のうち境界線に近い双方11カ所ずつを撤収するとしている。

 しかし、これだけでも韓国にとっては大きな危険を抱え込むことになる。圧倒的優位にある上空の偵察力や北朝鮮より少ないGPが縮小されれば韓国側の兵力後退がはるかに進むためだ。演習中断は有事の軍展開能力を著しく低下させる結果を招き、特に海上の軍事境界線である北方限界線(NLL)付近で頻発した北朝鮮による挑発への対応が心配されている。

 南北は4月の板門店での首脳会談後、将官級や実務者の軍事会談を4回も重ね、今回の軍事合意にこぎつけたが、この分野を先行させたのには理由がある。休戦状態にある朝鮮戦争(1950~53年)の終戦宣言を年内に行うための環境整備だ。南北が銃を降ろすことで終戦ムードを高め、米国説得の材料にするのが狙いとみられる。

 よく終戦宣言は「単なる政治的宣言で拘束力はない」と言われ、文大統領も帰国直後の訪朝報告で「平和協定締結や在韓米軍撤収にすぐつながらないという点で金正恩委員長も同意した」と述べた。しかし、専門家たちはそこに隠された北朝鮮の底意を見逃してはならないと言う。

 「終戦宣言がなされた瞬間、戦争状態が解消されたのになぜ外国の軍隊が駐屯しているのか、国連軍司令部がなぜ非武装地帯を統制しているのかという批判が韓国国内の親北派から沸き起こるように北朝鮮は手を打っているだろう。北朝鮮当局や労働新聞が要求せずとも韓国内部から声が上がる」(柳東烈元韓国警察庁公安問題研究所研究官)

 北朝鮮の非核化が足踏み状態にもかかわらず南北関係は終戦宣言に向かって加速している。保守系野党自由韓国党の金盛賛議員は国会での緊急懇談会で「最後の砦(とりで)である米国が韓国から軍事的防波堤をなくす事態だけは避けるのがわれわれの仕事だ」と述べた。