名大附属高、平和を学ぶ「研究旅行」30年
「信頼」を訴え続けるガイドの新島メリーさん
沖縄戦を体験した証言者が少なくなっている中で、沖縄屈指の名ガイドと言われ、40年以上、「平和」や「信頼」の大切さを語り続けているのが新島メリーさん(70)だ。同じく30年前から沖縄を訪れ、「研究旅行」を続けてきた愛知県の名古屋大学教育学部附属高(以後、名大附属高)のグループに対して、このほど新島さんは主義思想を超え平和をつくり出す人格を備えることの重要性を語っていた。(那覇支局・豊田 剛)
反戦平和運動と一線を画す
11月7日午後、沖縄県平和祈念公園を訪れた名大附属高2年生の修学旅行グループが、園内に設置された学徒合同慰霊碑の前で女性ガイドの話に耳を傾けていた。
「最も大切なことは何でしょうか」という問い掛けに、生徒たちは「生命」「愛」「家族」「お金」と返答した。これに対しガイドは、「愛は燃えやすく、壊れやすく、冷めやすい。お金は2番目かもしれないが、一番大事なのは信頼です」と、時折ユーモアを交えながら力説した。
「世界に目を向けると、テロや紛争が起きている。日米関係の例では、一国の首脳同士がお互いに信頼し合っていれば平和になれる」
幅広い視野で平和について話をするのはガイドで宜野湾市在住の新島メリーさんだ。終戦後、米国統治下の収容所で生まれたメリーさんは合同刻銘碑の提案者の一人で、平和ガイドの生みの親でもある。
メリーさんは5年ほど前、沖縄戦で犠牲になった学徒全員、約2000人の名前を刻む慰霊碑を建ててほしいと県に要請した。ところが、今年3月、除幕式に参加し、簡単な説明書きと校名しか書かれていないことを目の当たりにして落胆した。
平和祈念公園はメリーさんらガイドが必ず案内する“定番”の地と言っていい。しかし、メリーさんは、▼平和祈念資料館の偏向展示▼沖縄戦の犠牲者数の水増し▼沖縄戦と無関係の人々も刻銘する「平和の礎」の在り方〓などに疑問を呈している。
メリーさんによると、大田昌秀元知事など一部の左翼政治家および学者が沖縄戦の展示や教科書記述に主に携わったことが影響し、「1972年の本土復帰後、現役の教職員がツアーガイドを務め、平和ガイドが反戦反基地運動や反日反米思想にエスカレートしてしまった」という。
「戦争の悲惨さだけを伝えても平和は訪れない。恨みつらみからは何も始まらない」という思いから、メリーさんは大多数のガイドとは異なる多角的な視点による説明を心掛けている。
7日のガイドでは、「現代は、国同士の分かりやすい戦争ではなく、主義思想や民族などさまざまな利害が絡みあった複雑な衝突が世界中で起きている」ことを指摘した上で、「相手の主義思想を否定しても解決できず、相手を上回るだけの人格が備わっていないといけない」と強調。自らが平和をつくり出す人になることの大切さを語った。
全国の修学旅行の中で、平和教育をテーマにした沖縄旅行を選ぶ高校は多い。しかし、沖縄修学旅行の歴史はまだ30年しかない。全国の国公立高校で初めて沖縄を選んだのが、この名大附属高だという。「研究旅行」の名目で、「国際理解と平和の教育」をテーマに、同時多発テロ事件があった2011年以外、毎年実施している。旅行後に作成している報告集が他校の目に留まり、沖縄修学旅行のブームのきっかけをつくったとされる。こうしたことから、同校は12年、沖縄観光コンベンションビューローから感謝状を受け取った。
今年は初めて、旅行前に冊子を作製した。社会科の宿題として、沖縄に関するワードを1人二つずつ調べて学年全体で冊子を作成。「心」「文化」「人権と共生」「生命」「自然と環境」「平和」の六つのテーマを多面的に学ぶ場と位置付けた。
メリーさんは「自分で実際に調べたことと、自分の目で見たものを比べ、考える作業が大事だ」と、同校の新しい取り組みを高く評価。沖縄から発信される情報やニュースは一面的な見方が多いため、自分たちが現場で確認する作業は大切になる。
県の観光当局は、「修学旅行で海外という選択肢が増え、沖縄を訪れる数は頭打ちになっている」と言う。魅力あるプログラムの提示が迫られているのだ。また、「学校の関心が平和学習から、自然・文化体験にシフトする傾向にある」と旅行会社の担当者は話す。沖縄戦を生き延びて証言できる元学徒がほとんどいなくなった今、悲惨な戦争の体験談を聞く受け身型の修学旅行は岐路に立たされていると言える。
名大附属高はこうした中でも、研究旅行というスタイルを変えていない。引率教師は、「ネットなどの情報があふれている現代、容易に知識は得られるが、実際にその土地に行き、話を聞き、体感することが大切だ」と語っていた。