那覇軍港の浦添市への移設を市民が選択

松本哲治・浦添市長に聞く

キャンプ・キンザー返還前倒しを近く政府に要請

 米軍港湾施設(那覇軍港)の浦添市への移設が争点となった同市長選が2月12日に行われ、現職の松本哲治市長=自公推薦=が再選した。松本氏に軍港移設についての考え、米軍キャンプ・キンザーの返還と跡地利用のビジョンなどについて聞いた。(聞き手=那覇支局・豊田 剛)

西海岸開発の好条件揃う

 ――浦添市長選でオール沖縄候補に勝利した背景は。

那覇軍港の浦添市への移設を市民が選択

 (翁長雄志知事を支持する)「オール沖縄」候補とがっぷり四つの一騎打ちとなり、非常に危機感を持って臨んだが、想定外の大勝だった。わが陣営が団結し、私も知らない他市町村の団体、企業もたくさん応援してくれたのは大きな力になった。

 ――軍港移設が最大の争点となったが、容認の考えを市民にどう伝えてきたか。

 4年間、那覇軍港の浦添移設について、私が反対からどのように軍港容認に至ったのかを説明した。約2年前に記者会見したのをはじめ、大小の集会でコツコツと説明してきた。それが浸透し、市民の理解を得たと思う。

 一方で、受け入れないという事は簡単だったが、精査した結果、あえて難しい選択をするという苦しい立場を理解してもらえた。

 有権者はきっぱりとした正解を求めたがり、政治家はそれに合わせて極端な理想論を語る傾向にある。しかし、私の基本は、政治家も常に悩み苦しみ、有権者も一緒に悩んでもらうというものだ。

 ――3期務めた前任市長の儀間光男氏からずっと、軍港移設容認の候補が当選している。浦添市民の民意は軍港移設容認と考えていいか。

那覇軍港の浦添市への移設を市民が選択

 民意と考えてもいいと思う。ただ、現実としては、交渉や条件を付けることで、苦渋の決断として仕方なく受け入れたという表現が適切だ。軍港が来なくて困る市民はいないだろう。

 ――米軍牧港補給庫(キャンプ・キンザー)返還の見通しは。

 仲井真弘多前知事の2期目の最後、沖縄の基地負担軽減に関する四つの協議項目の一つがキャンプ・キンザーの前倒し返還だった。これについて近いうちに政府に要請する予定だ。2013年の「沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」では、普天間飛行場、キャンプ・キンザー、那覇軍港という返還の順番だったが、現状ではキンザーの返還前倒しは十分にあり得ると思う。キンザー沿いの国道58号の渋滞はひどい。現在、道路拡張を進め、それと同時に、58号バイパスの西海岸道路を建設している。これができれば基地負担軽減のシンボルになる。

 ――西海岸開発では前市政が作成した素案を見直した。米軍や政府には理解されるか。

那覇軍港の浦添市への移設を市民が選択

航空写真を使って西海岸開発について説明する松本哲治浦添市長

 現行計画は「統合計画」の前に作られたもので、いつ返還されるか分からないという当時の状況を踏まえていることは理解できる。ただ、キンザーが返ってくると分かった以上、返還を想定した西海岸開発が必要になる。現在、国も米軍も見直すことで了承している。国や米軍の要求もあるから、それを基に、関係者が一緒に新しい案を作っているところだ。

 ――これまでは県、那覇市が松本私案に理解を示していなかった。

 私は開発計画の見直しを主張してきたが、県は現行計画の考えを曲げなかった。選挙戦では、相手候補の又吉健太郎氏が現行計画維持を公約に掲げ、私は見直しを主張した。これが選挙戦の争点となり、市民は見直しを選択した。こうなれば、県、那覇市、那覇港管理組合も見直しの方向で議論せざるを得なくなるだろう。

 これからの時代、管理組合の議論はフルオープンにすべきだ。県と那覇市の誰か分からない人が浦添市の海の在り方を決めることを疑問に思う市民が多い。

 ――那覇市議会は7日、軍港移設を推進する決議を可決したが。

 那覇市のこうした進展は歓迎すべきだ。追い出す側の那覇市には受け取る側に対する配慮を最大限してもらいたい。これまでは出す側の誠意がなかなか感じられなかった。キャンプ・キンザーの倉庫群の一部機能を移設するに当たり、受け入れ側の沖縄市を訪問して頭を下げてお願いしている。

 ――キャンプ・キンザーの返還後の跡地利用・西海岸開発についての考えは。

 これだけの規模の開発はこれまでなかったことだ。しかも海に面し、(夕日が臨める)西向き、勾配、那覇に近いという最高の条件を備えている。他の返還地にはない優位性だ。ポテンシャルを生かした素晴らしいものをつくっていかなければならないと思っている。地権者の意向も聞きながら、再開発の在り方を考える協議会を加速していかなければならない。


まつもと・てつじ

 1967年、浦添市生まれ。琉球大学法文学部卒業後、英国系金融コンサルティング会社勤務を経て、米カリフォルニア大学バークレー校卒。2002年に在宅介護のNPO法人ライフサポートてだこ設立。13年に市長選に初当選。好きな言葉は百花繚乱(りょうらん)。家族は妻と娘2人、息子1人。