「シールズ琉球」の実態、共産党系民青幹部が影響力
「辺野古移設」反対活動を再開
安保法廃止などをラップ調のリズムに乗って呼び掛ける若者グループ「SEALDs」(シールズ:自由と民主主義のための学生緊急行動)の沖縄の組織「シールズ琉球」が、米軍普天間基地の「辺野古移設」反対などの運動を再び活発化させる見通しだ。この「シールズ琉球」の実情を探っていくと、他の地方組織の「首都圏」や「関西」で確認された構図と同様、日本共産党の若手の下部組織である民主青年同盟(民青)の幹部が影響力を行使していることが分かった。(シールズ取材班)
「シールズ琉球」が設立されたのは、昨年の終戦記念日の8月15日。奥田愛基氏らがシールズ本体をスタートさせた憲法記念日の5月3日から3カ月余り経(た)ってのことだ。
もともと沖縄には名護市辺野古のゲート前で座り込みをしたりカレーライスを一緒に食べようなどと誘い会員募集を行う県内の左派学生団体「ゆんたくるー」という組織があった。
そのメンバーが「沖縄でも安保法案に対し若者が行動する必要がある」と主張、東京でシールズの中心メンバーとして活動していた沖縄県宜野湾市出身の元山仁士郎氏(国際基督教大)らの協力で「シールズ琉球」が立ち上がった。
「シールズ琉球」の主要メンバーは現在、30人ほど。「活動の最前線には、玉城愛(名桜大)、小波津義嵩(同)、名嘉一心(沖縄国際大)、砂川真紀(沖縄キリスト教学院大)各氏らが立ち、声を掛ければ200人を集められるほどに成長した」(沖縄の事情通)という。
この「シールズ琉球」に目を付けたのが、「日本共産党を相談相手に、援助を受けて活動する」(民青規約)青年組織・民青だ。旧ソ連時代の独裁者スターリン主導のコミンテルン(国際共産党)の指導下にあった国際共産青年同盟の日本支部として1923年にスタートし、今日に至っている。
「シールズ琉球」の玉城愛氏と知り合いだった吉居俊平・民青沖縄県委員会常任委員(名桜大)が同組織の会員となったのが縁で、同委員会委員長の荒木竜氏(琉球大出身)が加わった。荒木氏は沖縄県選出の赤嶺政賢衆院議員(日本共産党)の秘書役も兼任する専従活動家で、「シールズ琉球」の知恵袋との指摘もある。
昨年12月、名護市辺野古の新基地建設に反対する政党、市民団体、労働組合、企業などが結集して結成された「オール沖縄会議」に「加入することを誘ったのが荒木氏で実際に『シールズ琉球』の代表が結成大会であいさつをした」と事情通は語る。これは民青が影響力を行使した一例だ。
民青沖縄県委員会は、沖縄返還を機に1972年5月、沖縄民青同盟が日本民青同盟に合流して新たにスタートした。「沖縄の民青は弱い。そこで『シールズ琉球』に入り込んで党勢、支持拡大の対象にしている側面もある」(同)という。
日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」も「シールズ琉球」の活動を好意的に取り上げている。1月24日に投開票された沖縄県の宜野湾市長選では、翁長雄志県知事側に付いて選挙応援したが惨敗し、活動力が鈍っていた。しかし、東京では「シールズ琉球」の元山氏が2月8日、参議院会館で記者会見をし、13日、三鷹での反新基地建設集会で中心的役割を果たした。21日には、元山氏ら「シールズ」メンバーが国会周辺で稲嶺進名護市長とともに、手をつないで国会を包囲し「辺野古を守れ」などとアピールした。今後は、6月の県議選や夏の参院選に向けて沖縄での運動を盛り上げていくものとみられる。