革新共闘のオール沖縄と決別、自公候補を支援

赤嶺昇・沖縄県議会議長に衆院選の総括などについて聞く

 先ごろ行われた衆院総選挙で中道保守が議席を増やした。翁長、玉城両県政を支えた「オール沖縄」とたもとを分かち、衆院選では自公候補を支援した沖縄県議会の赤嶺昇議長に、衆院選の総括、今後の沖縄政局、玉城デニー知事の評価などについて聞いた。(沖縄支局・豊田 剛)


決断力欠く玉城知事、「県民のために働く」候補支援

革新共闘のオール沖縄と決別、自公候補を支援

赤嶺昇・沖縄県議会議長(豊田剛撮影)

 ――衆院選では沖縄で自公候補が比例代表を含めて5人当選した一方で、革新は3人から2人に減らした。この結果をどう見るか。

 印象的だったのは、玉城デニー知事の地元である3区で、知事の後継である現職の屋良朝博氏を破って自公が推す島尻安伊子氏が当選したことだ。

 県民の意識は普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設だけではなく、特にコロナ禍で厳しくなっている県民生活、経済、子育てをどうするかにあった。これが票数になって現れた。選挙区では2対2という結果だが、票数では自公候補が上回っており、オール沖縄には厳しい結果となったことは明らかだ。

 ――衆院選では自公候補を応援した。

 私は玉城知事が衆院議員だった頃には衆院選で選対の事務総長をやったこともあり、その後継候補となった屋良朝博氏の選対事務総長を務めた。屋良氏については、衆院議員になってから一度も私と政策を話し合ったり、相談に来たりすることもなかった。

 玉城知事には、トップリーダーとしての能力がないだけでなく、決断力がない。これは知事としての資質が欠けているということだ。オール沖縄は、辺野古移設に反対する「建白書」の下、市町村長と議長が一致団結したものだ。玉城知事の下のオール沖縄と翁長知事の下のオール沖縄は別のものと考えている。革新勢力がどんな選挙でも「オール沖縄」を標榜(ひょうぼう)し、オール沖縄を政治利用するようになったことは保守の政治家や経済界が抜けていくきっかけになった。

 玉城知事とは考え方が決定的に違うと確信したのは、今年2月の浦添市長選の時。那覇軍港の浦添移設に反対する共産党候補を応援した。これは、翁長雄志前知事が掲げたオール沖縄の本来の主張とは懸け離れたものであり、革新共闘でしかなくなった。

 私は会派「おきなわ」を抜けて今は中立の立場にある。辺野古に反対さえすれば当選できてしまうことは問題だ。そのため、衆院選では、より県民のために働いてくれる候補を応援した。

 ――辺野古移設に対する自身の考えは。

 今でも基本的には反対の立場。ただ、翁長前知事と同様に、裁判の結果に従うということについては一緒だ。その前に普天間飛行場の危険性を除去しなければならない。普天間が置き去りにされてしまっていることを問題視している。議会としても日米両政府に日米地位協定の改定を積極的に働き掛ける必要がある。

 玉城知事は辺野古埋め立ての県民投票で過半数の反対という民意の後ろ盾がある。それでも土砂は投入され、今も埋め立て工事が進んでいるのが現状だ。「対話を求める」と言うのであれば、同じく反対の立場にある公明党を含めてあらゆるチャンネルを使って交渉したらいいのに、それすらできていない。要は覚悟がない。反対し続けることをブレないと言っているようでは知事の仕事は務まらない。

コロナ対策も後手後手、責任を取る気概のあるリーダーを

 ――玉城県政のコロナ対策を強く批判する理由は。

 人口10万人当たりの感染率で長期間にわたって全国ワーストが続き、観光・経済に壊滅的な打撃をもたらした。これは玉城県政の後手後手の対応が招いた。

 沖縄は離島県で、他府県とは海を隔てている。空港でしっかり水際対策を取っていれば、コロナウイルスの流入を防ぐことができたはずだ。言い換えれば、他府県に比べて対策が打ちやすかったはず。

 実際、台湾は早期に水際対策を徹底したため、感染者の数をかなり抑え込むのに成功した。昨年から台湾をモデルに対応すべきだと県に再三提案してきたが、予算がないと言って一向に対応してくれなかった。玉城知事には決断がない。これは緊急時の対応として失格だ。

 観光・経済・医療などさまざまな団体からどうにかしてほしいと要請が絶えない。玉城県政をはじめとする革新陣営は、「命と暮らしを守る」と言いながらどちらも守り切れていない。だから今年5月には、県議会の自民会派と公明会派とともにコロナ対策本部長を辞任するよう求めた。

 議会でもコロナ関連の質問に対してはほとんど自分で答弁しない。県が設置した新型コロナウイルス対策本部もすべて後手後手の対応で、先手を打って対応するという発想がない。

 ――リーダーに求められる資質は。

 知事になって「誰一人取り残さない」や「新時代沖縄」など耳当たりの良い言葉でぼかしていて結果を出していない。これだけ観光産業が苦しい中、経済を立て直せるリーダーが求められる。来年は沖縄が日本復帰して50年の節目で、知事選もある。具体策を示し、結果にこだわり、責任を取る気概のあるリーダーが必要だ。


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あかみね・のぼる

 1967年ブラジル・サンパウロ生まれ。小学生で浦添市に移住。日本工学院専門学校電子工学科卒業。97年、浦添市議選で初当選し2期を務める。2004年、県議選に初当選し、現在は4期目。