沖縄戦記『鉄の暴風』、慶良間諸島の記述は嘘

終戦から75年 沖縄戦の真実を語る(上)

 今年は終戦から75年。戦争の生き残りや当時を知る証言者が少なくなり、歴史の風化も懸念される。中でも、沖縄戦については、沖縄の復帰前後から自虐的な論調が目立ち、軍の命令による集団自決という事実と異なる概念が定着した。集団自決が起きた慶良間諸島で戦争聞き取り調査をした作家の星雅彦氏と沖縄戦ノンフィクション作家の上原正稔氏に沖縄戦の真実について語ってもらった。2回に分けて掲載する。(聞き手・豊田 剛)


沖縄県文化協会顧問 星 雅彦氏
ノンフィクション作家 上原 正稔氏

記者は現地取材せず、左翼が広めた造語「集団自決」

 ――星さんは沖縄戦の聞き取り調査をしているが、どういういきさつで仕事を引き受けたのか。

沖縄戦記『鉄の暴風』、慶良間諸島の記述は嘘

沖縄県文化協会顧問 星 雅彦氏(豊田 剛撮影)

  自分は那覇で生まれ育ったが、戦争で熊本に疎開し、その後、東京で暮らした。1965年に沖縄に戻り、美術の仕事をしている時、沖縄県史編纂(へんさん)所の名嘉(なか)正八郎所長に頼まれ、68年から1年半ほど聞き取り調査をした。

 自分は那覇から南風原の戦争体験者を担当した。聞き取りをテープに収め文字起こしした。

 上原 沖縄県史のうち第9巻と10巻で県民の戦争体験が語られているが、そのうち9巻のほとんどは星先生がテープ起こししている。これは膨大な量だ。証言は皆、方言で話しているし、今は誰が聞いてもほとんど理解できないだろう。時間や場所など特定するのが大変だ。あれは、星先生でなければできなかった仕事だ。

 ――集団自決があったとされる渡嘉敷島と座間味島の聞き取り調査をしたきっかけは。

沖縄戦記『鉄の暴風』、慶良間諸島の記述は嘘

ノンフィクション作家 上原 正稔氏(豊田 剛撮影)


  県史の編集作業をしている時期に、個人的に慶良間諸島に行き、戦争の生き残りや関係者に聞き取り調査をした。これらの聞き取りは県史には収録されていない。慶良間諸島にわたったきっかけは、沖縄戦記『鉄の暴風』(沖縄タイムス)だ。当時は牧港篤三と並ぶ著者で沖縄タイムスの大田良博と親しくしていたのだが、集団自決の記述は嘘(うそ)っぱちだった。おかしいと思い確認しに行ったら、やはりおかしかった。これについて大田に尋ねたら、『鉄の暴風』の慶良間諸島に関する記述は元テレビ局社長の山城安次郎から聞いただけで、本人は一度も島に行っていない。大田は、監修者の豊平良顕から「君にしかできない」と言われて書いたそうだが、大田が書いた部分が一番おかしい。

 上原 星氏は自分で現地に行って取材しているから正しい。大田良博の記述は日付から何から何まで間違いだらけ。山城安次郎は戦前、学校教師で刀を振り回すなどして生徒から恐れられていた。戦時中は自分の家族に手を掛けようとしていたが、戦後こうした事実を一切話さなかった。こうした素性を隠したまま那覇に渡り、米軍人と仲良くなって社長にのし上がった。しかも、渡嘉敷島にいなかったのに、渡嘉敷で集団自決があったと言い切っていた。

 当時は「玉砕」という言葉を使っていたことを忘れてはいけない。集団自決という言葉は『鉄の暴風』で初めて使われた造語だった。少し前まではどの辞書にも載っていなかった。

  その通りだ。『鉄の暴風』の影響を受けた左翼インテリや新聞が集団自決と言い出した。「集団自決」という証言が出てきたのはその後だ。

「軍命なし」証言を変えた宮城初枝の娘の晴美氏

 ――いわゆる集団自決に関しては、軍命の有無が大きな焦点となっている。

  集団自決の軍命の有無については、座間味村役場に勤め、戦時中は女子青年団員だった宮城初枝と娘の宮城晴美が大きなカギを握っている。

 初枝は島の長老から呼び出され、「梅澤裕隊長から自決の命令があったことを証言するように」と言われたが、いったん断ったという。晴美は著書「母の遺したもの」(2000年、高文研社)の中で、親の遺言どおり「住民に『玉砕』を命令したのは梅澤氏ではないことを確信した」と書いた。初枝は隊長と会った時はお互いに涙を流し、「軍命があったとすれば、それを受けた犠牲者は準軍属となって援護金が支給されるようにするという説得があった」とし、後に梅澤裕・座間味守備隊長に詫(わ)びを入れている。

 ところが、2008年の同じ本の再版で、やはり隊長命令があったと書き換えてしまった。そんなことはおかしいと思い、調べたところ、晴美の恩師の安仁屋(あにや)政昭の影響を受けたことが分かった。沖縄史の編纂委員を務めていて、県史を書いている時に私に「なぜ日本軍の善行を書くのか」と私に迫ったことがある。安仁屋はいつの間にか沖縄国際大学の教授になり、沖縄戦の大家になった。慶良間諸島の戦争証言集にマルクス・レーニン主義の思想が入った。

 上原 安仁屋は共産主義者だ。それから大江健三郎の『沖縄ノート』を出版した岩波書店の月刊誌『世界』の岡本厚編集長の影響も受けている。同じ本で180度主張を変えるのは普通はあり得ないことだ。

 沖縄戦50周年となる95年、晴美は沖縄タイムスに「母の遺言」という連載を書いている。これは「母が遺したもの」の元になる原稿だ。ここで軍命があったという嘘の証言の背景には援護法があったことを説明した。当時、軍命により集団自決が始まったと信じて反戦平和を叫んでいた人々は仰天した。

(敬称略)


星 雅彦(ほし・まさひこ) プロフィール

 詩人、美術評論家。沖縄県文化協会元会長、2018年まで20年間にわたって文芸誌「うらそえ文芸」編集長などを務めるかたわら、日本現代詩人会、美術評論家連盟、日本ペンクラブ会員。新刊に「霊魂(マブイ)の力」

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上原 正稔(うえはら・まさとし) プロフィール

 ノンフィクション作家。83年に沖縄戦フィルムを収集する1フィート運動を開始。90年に「平和の礎」の原案である「沖縄戦メモリアル構想」を発表した。主な著書に「沖縄戦トップシークレット」「青い目が見た大琉球」。連載の中止で琉球新報を相手取り勝訴した。