沖縄に刻まれた李登輝氏の揮毫「為国作見証」
沖縄発のコラム:美ら風(ちゅらかじ)
「1945年2月、沖縄戦が始まる直前のこと。台湾の基隆などから900㌧もの台湾米が沖縄へ運び込まれ、県民へと配給された」
先月30日に逝去した台湾の李登輝元総統が最後に日本を訪れたのは2018年6月。沖縄県糸満市の平和祈念公園で台湾人戦没者にねぎらいの言葉を掛けた。李氏は公園内の台湾人戦没者慰霊碑「台湾の塔」を訪れ、「戦争は、生きるためにいかにして積極的に生命に向き合うかということを学ぶ契機となった」と述べ、公(国)に尽くすことの大切さを訴えた。
「台湾の塔」に刻まれている揮毫(きごう)「為国作見証」はこうした李氏の思いが込められている。
李氏の来沖を仲介した日本台湾平和基金会の西田健次郎理事長は「総統はアジアだけではなく世界のリーダーで、日本人以上に武士道を体現する日本人」とその功績を称えた。高齢で歩くのも困難な中、炎天下でも微動だにせず慰霊式典に臨んだ姿勢に感銘を覚えているという。
李氏はこれまで3度沖縄を訪れており、沖縄と縁が深いことで知られる。台湾の民主化と経済発展に尽力した李氏の逝去に、県内関係者からは悲しみと別れを惜しむ声が広がった。
李氏が初めて沖縄を訪れたのは08年9月。平和祈念公園を訪問したほか、沖縄コンベンションセンター(宜野湾市)で福沢諭吉の「学問のすゝめ」を題材に日本文化について講演した。
2回目は16年7月。石垣島を訪れ、名蔵ダムの台湾農業者入植顕頌碑を訪れ、講演では台湾がパイナップル産業を通して沖縄に農業支援したエピソードを披露した。
「為国作見証」には、慰霊に訪れる人を天の証人となって見ているという意味もある。李氏の逝去を機に、人の目に恥ずかしくないよう公のために生きたいものだ。(T)