戦後75年の節目、岐路に立つ「慰霊の日」式典
体験者・遺族が高齢化、コロナ禍も加わり規模を大幅縮小
新型コロナウイルス感染拡大を受け、6月23日「慰霊の日」の「沖縄戦全戦没者追悼式」は大幅に縮小されて開催される。戦後75年の節目だが、戦争体験者や遺族ら参列者の多くは高齢のため、各地で行われる慰霊祭は中止または規模縮小を余儀なくされている。(沖縄支局・豊田 剛)
安倍首相や衆参両院議長、自衛隊・米軍関係者も招待せず
玉城デニー知事は12日の記者会見で、例年約5000人が参列する「沖縄戦全戦没者追悼式」の規模を大幅に縮小して、糸満市摩文仁の平和祈念公園広場で開催すると発表した。
参列者は県知事、副知事、県議会議長、沖縄県遺族連合会会長、沖縄県傷痍軍人会代表、さらに、遺族会の各支部代表、県出身国会議員、市町村長、県議など計198人を予定している。今回は安倍晋三首相や衆参両院議長らは招待せず、自衛隊と米軍関係者も招かない。
県内でもコロナウイルス感染が広がっていた5月の時点では、参加者を県内の招待者16人に限定し、会場は平和祈念公園内の国立戦没者墓苑に移すとしていた。
県がこの会場変更を発表した翌日、地元メディアからの批判的な論調はなかったが、後になって、石原昌家沖縄国際大名誉教授(社会学)ら反戦論者が会場変更について県に抗議した。石原氏は、国立戦没者墓苑で開催することは「戦争を美化することにつながる」と主張。「沖縄戦は本土防衛と国体護持の“捨て石”作戦だった」と持論を述べた。石原氏らは電子署名活動も行っているが、開始から約3週間を経た15日現在、220筆しか集まっておらず、県民の共感は得られているとは言い難い。
県保護・援護課は取材に対し、「県には国立墓苑だから駄目という認識はない」と主張。5月15日の会場決定については「式典規模や遺骨がある墓苑の意味などを総合的に判断して決定した」と説明した。実際、県は毎年6月23日、沖縄全戦没者追悼式に先立ち、国立沖縄戦没者墓苑で拝礼式を行っている。また、同墓苑は、天皇陛下が来沖される際は必ず足を運ばれる場所でもある。
玉城知事は12日の記者会見で「どこで開催するとしても、沖縄戦で亡くなられた方々のみ霊を慰めるという思いはいささかも変わることはない」と説明した。ただ、開催場所を平和祈念公園広場に再変更するに当たり、抗議の影響を受けたことは間違いない。玉城知事は石原氏らとの面談の後、「勉強不足だった」と話したという。記者会見では具体的なやりとりについて明言を避けた。
こうした中、国立戦没者墓苑を管理する公益財団法人沖縄県平和祈念財団は、ホームページ上で同墓苑についての説明を12日までに書き換えた。財団は約1年前、ホームページをリニューアルする際に、「国難に殉じた戦没者の遺骨を永遠におまつりする」という表現を加えていた。これを「悲惨な戦争により犠牲になった人々」という表現に変えたのだ。石原教授の強い要請に屈した形だ。
遺族会などが毎年行う「平和祈願慰霊大行進」は初の中止
新型コロナ感染の影響は戦没者慰霊に関するあらゆる行事に影響を及ぼしている。日本遺族会と沖縄県遺族連合会は「慰霊の日」に毎年、「平和祈願慰霊大行進」を行っているが、今年は初めて中止となった。「多くの尊い命が失われた沖縄戦を振り返り、砲弾降りしきる中、苦難の撤退を余儀なくされた戦没者が辿(たど)った道程を行進し、平和を祈願する」ことを目的としている。行進は糸満市役所を出発し、平和祈念公園まで約10㌔を歩く。大行進は1961年以来、毎年開催されており、全国からの参加者も多い。沖縄県遺族連合会の宮城篤正会長は、「残念だが、高齢者が多く、リスクが高い」と話した。
各学徒隊の慰霊祭も中止か大幅な規模縮小の対応だ。沖縄師範健児之塔の慰霊祭は中止。ひめゆりの塔や白梅之塔、和魂の塔、一中健児之塔は規模を縮小する。
豊見城市にある旧海軍壕公園では、大田実元海軍中将が自決した6月13日、同中将の遺族らが参加する中、慰霊祭が行われているが、今年は主催者の沖縄観光コンベンションビューロー職員だけで静かに慰霊祭を行った。
自治体で行われる慰霊祭の多くも中止。住民による集団自決が起きた渡嘉敷村と座間味村では、3月に実施予定だった慰霊祭を中止にし、自由参拝とした。
戦争体験者や遺族が高齢化し、慰霊祭に出席できない人たちが増えている中で、追い打ちをかける形となったコロナ禍。体験者の“語り部”がいなくなり、戦後世代が中心になって運営している「ひめゆり平和祈念資料館」も「沖縄県平和祈念資料館」も入館者の減少に歯止めがかからない。来年以降も、「慰霊祭の参拝者が減るのではないか」と、両資料館の職員は懸念を示した。