豚コレラ感染、防疫作業で自衛隊の献身的な活躍
13日間延べ6500人が出動、殺処分に涙する隊員も
沖縄県うるま市の養豚場で豚コレラ(CSF)の感染が1月8日までに明らかになり、隣の沖縄市を含めて七つの養豚場で感染拡大したが、20日にはいったん収束した。その背景には自衛隊員の涙ながらの献身的な活動があった。(沖縄支局・豊田 剛)
一部の県民の反自衛隊感情を克服する新たな一歩
沖縄県での豚コレラ発生確認は、1986年10月以来、33年ぶりだ。沖縄県は8日、1例目の豚コレラ発症が確認されたことを受け、陸上自衛隊第15旅団(那覇市)に災害派遣部隊の支援要請を行った。豚コレラをめぐり、玉城デニー知事に対してはワクチン接種の是非など、対応や判断の遅さが批判されているが、自衛隊への要請は大方の予想と違って早かった。
自衛隊が行った任務は殺処分と消毒の防疫作業。8日から13日間で延べ6500人が出動。約65台の車両を現地派遣した。また幹部職員4人が県庁に派遣され、指揮に当たった。
20日までに殺処分された豚は、県発表で計9043頭。各養豚場では6時間交代のローテーションを組み、24時間態勢で防疫作業に当たった。県や自治体職員、JA職員らも作業を行ったが、自衛隊のマンパワーと装備品なしにはなし得なかったことだ。
豚舎内の豚を誘導し、ベニヤ板で抑え込み、獣医師が電気ショックを与えるか、ガスを送って処分した後、袋に入れて埋葬地に搬送する――というのが作業の一連の流れだ。岐阜と愛知両県で発生した豚コレラに対して、陸上自衛隊第10師団(名古屋市)が作成した教訓資料を生かした。
派遣隊員を代表して取材に応じた第15高射特科連隊第3中隊の松田みずき陸士長(23)は2歳の息子がいる母親だ。「殺処分支援作業で最初に立ち会ったのが妊娠している豚で、母親として心が痛かった」と涙ながらに語った。
同隊本部管理中隊の野上光3等陸曹(29)は、「殺処分現場に対面して、畜産農家のことを思うと涙が出てしまった。最初はやっていけるのかと思ったが、『涙が出た』と上司に話をしたら、『おかしいことではない。みんなそうだ』と言われ、落ち着きを取り戻した」という。
隊員に対するメンタルケアは欠かさない。今回の派遣ではメンタルケアを専門とする自衛官3人を投入し、毎日、任務が終わるたびにミーティングを開いた。災害派遣部隊指揮官を務めた同隊長の内村直樹1等陸佐(47)は、「感じたことや辛かったことを皆で共有してもらった。各隊員に異常がないか細やかに確認を取ってケアを行ってきた」と説明した。
一方で28日、自衛隊駐屯地で行った報告会では、県の担当が日々変わり、現場が苦労した面もあったことを明らかにした。
県庁で中村裕亮旅団長(54)から任務終了報告を受けた玉城知事は、「県職員や自治体職員も動員した初めての防疫措置作業だったが、自衛隊員の適切な指導で円滑に作業が進んだ。誠にありがとうございます」と深々と頭を下げた。
第15旅団隷下第51普通科連隊第3中隊の安田翔一1等陸曹(35)は、県庁に入ると多くの職員から「ありがとうございました」と声を掛けられ、嬉(うれ)しかったという。活動期間中、数多くの県内の団体などから飲み物やおにぎりの差し入れがあったことも、「力になった」と話した。
元自衛官幹部の男性は、「災害派遣は自衛隊の有益性を国民・県民に分かりやすく伝えることができる方法だ」とした上で、沖縄市とうるま市に駐留する部隊が主に出動したことで、「目に見える形で地域の役に立つことを実感させることができたのではないか」と話した。
先の大戦で地上戦を経験したことから、いまだに一部の県民に自衛隊アレルギーが残っているが、それを克服する新たな一歩になったのかもしれない。
= メ モ =
豚コレラをめぐる自衛隊の災害派遣のドキュメント
1月 8日 沖縄県知事から陸上自衛隊第15旅団長に災害派遣要請
連絡幹部2人を県庁に派遣
9日 第15高射特科連隊がうるま市の養豚農場で殺処分などの防疫作業を開始
10日 県庁派遣の連絡幹部が4人に
陸上自衛隊九州補給処(目達原駐屯地=佐賀県)から災害派遣物資を受領
11日 第51普通科連隊が沖縄市の養豚農場で作業開始
第15後方支援隊が物資輸送を開始
14日 沖縄市における防疫活動を完了
第51普通科連隊はうるま市の養豚農場で畜舎などの清掃・消毒を開始
15日 第15高射特科連隊がうるま市で新たに豚コレラが発生した養豚農場で殺処分などの防疫作業を開始
16日 うるま市の養豚農場での殺処分支援を完了
17日 第51普通科連隊と第15高射特科連隊はうるま市と沖縄市の養豚農場で汚染物品処理支援を実施
18日 うるま市と沖縄市の養豚農場で汚染物品処理支援を完了
20日 県知事による撤収要請を受理し、午後1時15分までに災害派遣部隊を撤収
旅団長が県知事に撤収報告